第12章「同居者・色男講師ヤイ」

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その7「ヤイとのギャップ」    ヤイと同居しなければ、まだずっとハッシに住んでいたかもしれない。  ヤイと生活をともにしていると、彼の生きかた、生活習慣がことごとく違うのに驚き、疲れた。  そのとき、自分が日本人であることを痛感した。  ぼくは外国生活が長い。  とくにフランスの影響をかなり受けていた。しかし、そこは日本人。ヤイとはかけ離れていた。  ヤイのほうも、それは感じていたらしい。  しかも問題は、単なる生活習慣のギャップだけではない。  自分では気づいてなかったが、 「ぼくのほうが正しく、ヤイが間違っている。だから常に直してやろう」 としていたようだ。それは自分のやりかたや常識を他人に押しつけたがる、日本人全般の行動パターンに他ならない。  ヤイがやることは、ことごとくぼくと違う。  それもみんな、ぼくからすれば常識はずれ。非効率そのもの。始める前から結果が見えている。 「そんな風にしてはダメだ」 「順番が違う」 「やりかたがまずい」 「ああ、見ていられない」 あれこれ口をはさんだ。  初めの1週間は、いちいち文句をいっていた。毎日イライラした。そのうち疲れてきた。  いくらいっても、ヤイの生活はちっとも変わらない。彼も疲れただけだ。  そのうち、こう考えるようになった。 ぼくがヤイに注文をつけるのは、外国人が日本人に 「みそやしょうゆを使うな」 「風呂に入るな」 と命令するのと同じだと。  変えるのは無理。抵抗されるだけ。  結論として、相手の生活習慣を尊重することにした。というより、好きなことを好きなようにさせるしかない。 ヤイは、そうした生活を何十年もしてきたのだ。ぼくがあれこれいっても、これからも続けていくだろう。  今さら何をいおうと、彼の習慣は何も変わらないに違いない。 そう思うと気が楽になった。 その8「ヤイの料理」  別にヤイは自分の兄弟、息子や娘ではない。それまでは同居していっしょに食事を作り、食べていた。しかし、その必然性は何もないことに気づいた。  ヤイの食事は一風変わっている。  ごはんを鍋で炊く。それはいいのだが、米と水の量、火の強弱は、いつもいいかげん。必ず焦げて3分の1は食べられない。  それでもたくさん炊くので、食べられるうちの半分ほどをふたりで食べると、もう満腹。残り半分は捨ててしまう。  
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