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その7「ヤイとのギャップ」
ヤイと同居しなければ、まだずっとハッシに住んでいたかもしれない。
ヤイと生活をともにしていると、彼の生きかた、生活習慣がことごとく違うのに驚き、疲れた。
そのとき、自分が日本人であることを痛感した。
ぼくは外国生活が長い。
とくにフランスの影響をかなり受けていた。しかし、そこは日本人。ヤイとはかけ離れていた。
ヤイのほうも、それは感じていたらしい。
しかも問題は、単なる生活習慣のギャップだけではない。
自分では気づいてなかったが、
「ぼくのほうが正しく、ヤイが間違っている。だから常に直してやろう」
としていたようだ。それは自分のやりかたや常識を他人に押しつけたがる、日本人全般の行動パターンに他ならない。
ヤイがやることは、ことごとくぼくと違う。
それもみんな、ぼくからすれば常識はずれ。非効率そのもの。始める前から結果が見えている。
「そんな風にしてはダメだ」
「順番が違う」
「やりかたがまずい」
「ああ、見ていられない」
あれこれ口をはさんだ。
初めの1週間は、いちいち文句をいっていた。毎日イライラした。そのうち疲れてきた。
いくらいっても、ヤイの生活はちっとも変わらない。彼も疲れただけだ。
そのうち、こう考えるようになった。
ぼくがヤイに注文をつけるのは、外国人が日本人に
「みそやしょうゆを使うな」
「風呂に入るな」
と命令するのと同じだと。
変えるのは無理。抵抗されるだけ。
結論として、相手の生活習慣を尊重することにした。というより、好きなことを好きなようにさせるしかない。
ヤイは、そうした生活を何十年もしてきたのだ。ぼくがあれこれいっても、これからも続けていくだろう。
今さら何をいおうと、彼の習慣は何も変わらないに違いない。
そう思うと気が楽になった。
その8「ヤイの料理」
別にヤイは自分の兄弟、息子や娘ではない。それまでは同居していっしょに食事を作り、食べていた。しかし、その必然性は何もないことに気づいた。
ヤイの食事は一風変わっている。
ごはんを鍋で炊く。それはいいのだが、米と水の量、火の強弱は、いつもいいかげん。必ず焦げて3分の1は食べられない。
それでもたくさん炊くので、食べられるうちの半分ほどをふたりで食べると、もう満腹。残り半分は捨ててしまう。
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