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ぼくの教師生活は、およそ1年続いた。
わずか1年の間に新しく赴任してきた講師の人数は、なんと50人以上。
その半数は任務をまっとうした。他は途中で、あるいは着任早々に帰らされている。
講師失格の事情は、いろいろあった。
生徒に不信感を与えたり、あるいは反発感を買ったという理由が最も多かったようだ。
教え方が下手な者、知識や技術が不足している者。こうした教師としての能力が不足している場合は仕方ない。
気の毒なのは、フランス語が生徒に理解されなかった人たちだ。
えっ、ぼくの会話力はどうだったかって?
うーん、認めたくないがフランス語は上手くなかった。
自分としては
「ちゃんとこちらを向きなさい。君は何をしに学校に来ているんだね?」
と流暢(りゅうちょう)にしゃべっているつもりでも、彼らネイティブには
「おめえ、こっち向けよっ! ユーは何しに学校へ?」
とボビー・オロゴン程度の語学力にしか聞こえないらしい。
だからその分1語1語ゆっくりと話した。それが逆に生徒にはわかりやすく、好評だったようだ。人生、何が幸いするかわからない。
生徒にフランス語を直されたことも、しばしばあった。
その都度、品のいいお坊ちゃん出のぼくは
「メルシー」
と素直にお礼を述べる。こうして語学力を少しずつ向上させていった。スピードラーニングならぬ超スローラーニングだ。
その1「同期の講師」
実はぼくがここに赴任した時、もうひとり新人教師が入っていた。同期入社、いや同期入校か。
彼は電気技師。いっしょにパリで教育訓練を受けている。ぼくより2日早くきていたが、その日のうちに帰らされた。だからぼくらがお互いに職員室で顔を合わせたことは、1度もない。
あるとき、ムッシュ・ガリッグにたずねてみた。
「彼は、なぜすぐに帰らされたんだ?」
「彼の服装は、皮のジャンバーに皮ズボンだった。アラブ圏では到底受け入れられない」
これを聞いて、ぼくはドキッとした。
赴任時のぼくは、半袖シャツにGパン姿。おまけにカラフルな化繊のリュックサックを背負っていた。あんな格好でも、まだましだったんだ。もし服装が違っていたら……。
ムッシュ・ガリッグの話は続く。
「授業をやらせたら、彼は黒板に向かってつぶやき続けるだけだった。生徒のほうを向いて教えようとは、決してしなかった。
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