第11章「帰らされた講師たち」

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ぼくの教師生活は、およそ1年続いた。  わずか1年の間に新しく赴任してきた講師の人数は、なんと50人以上。  その半数は任務をまっとうした。他は途中で、あるいは着任早々に帰らされている。  講師失格の事情は、いろいろあった。  生徒に不信感を与えたり、あるいは反発感を買ったという理由が最も多かったようだ。  教え方が下手な者、知識や技術が不足している者。こうした教師としての能力が不足している場合は仕方ない。  気の毒なのは、フランス語が生徒に理解されなかった人たちだ。    えっ、ぼくの会話力はどうだったかって?  うーん、認めたくないがフランス語は上手くなかった。  自分としては 「ちゃんとこちらを向きなさい。君は何をしに学校に来ているんだね?」 と流暢(りゅうちょう)にしゃべっているつもりでも、彼らネイティブには 「おめえ、こっち向けよっ! ユーは何しに学校へ?」 とボビー・オロゴン程度の語学力にしか聞こえないらしい。  だからその分1語1語ゆっくりと話した。それが逆に生徒にはわかりやすく、好評だったようだ。人生、何が幸いするかわからない。  生徒にフランス語を直されたことも、しばしばあった。 その都度、品のいいお坊ちゃん出のぼくは 「メルシー」 と素直にお礼を述べる。こうして語学力を少しずつ向上させていった。スピードラーニングならぬ超スローラーニングだ。 その1「同期の講師」  実はぼくがここに赴任した時、もうひとり新人教師が入っていた。同期入社、いや同期入校か。  彼は電気技師。いっしょにパリで教育訓練を受けている。ぼくより2日早くきていたが、その日のうちに帰らされた。だからぼくらがお互いに職員室で顔を合わせたことは、1度もない。  あるとき、ムッシュ・ガリッグにたずねてみた。 「彼は、なぜすぐに帰らされたんだ?」 「彼の服装は、皮のジャンバーに皮ズボンだった。アラブ圏では到底受け入れられない」  これを聞いて、ぼくはドキッとした。  赴任時のぼくは、半袖シャツにGパン姿。おまけにカラフルな化繊のリュックサックを背負っていた。あんな格好でも、まだましだったんだ。もし服装が違っていたら……。  ムッシュ・ガリッグの話は続く。 「授業をやらせたら、彼は黒板に向かってつぶやき続けるだけだった。生徒のほうを向いて教えようとは、決してしなかった。
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