第11章「帰らされた講師たち」

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 彼は当時35、6歳。  だがしゃべりかたに、まだ学生っぽさが残っている。  開放的な性格なので、ぼくともすぐ仲良くなった。 他の同僚とも付き合いがいい。みんなで昼食を共にした。  彼の担当は、物理と数学。 「難しい科目を2つも抱えるなんて、すごい! それで顔はイケメンなんでしょ、ステキ!」 なんて考える女性読者がいるかもしれない。  しかし何のことはない、内容は中学程度だ。  しかも彼は、それをちゃんと教えられない。ムッシュ・ガリッグから、毎晩のように教えかたを習っていた。それも素因数分解だぞ。ぼくはそれを知って驚き、がっかりした。  その上、彼は個人主義的傾向が強い。  要するにわがまま。すぐにぼくは付き合わなくなった。急速に仲良くなったが、離れていくのはもっと早かった。  小田急線でたとえるなら、ゆきが急行、帰りが快速急行だ。  彼もまたその他大勢の講師とともに、短期間で帰されていった。エンジニアには、実にさまざまな人間がいた。 その5「エンジニアたち」  おしゃべりなエンジニア、下品なエンジニア、ホームレスと間違えそうな格好のエンジニア、専門馬鹿のドクター。どれも使い物にはならなかった。  結論からいうと技術指導ではエンジニアの肩書きはまったく必要ない。  むしろ工場の運転経験や実務を元に、技術内容をやさしく、かみ砕いて教えることが大切だ。  ぼくは1度、授業中に生徒から拍手と歓声をもらったことがある。  大型ボイラーの内部構造図の説明をするときの授業だった。今までの教師は口で説明するだけか、せいぜい黒板に簡単な図を書くだけ。  これでは彼らに理解させるのは不可能だろう。  そこで、ぼくはあらかじめ何枚かのスケッチを書いておいた。そして黒板に貼った。さらに普段は使わない黄色や赤いチョークを用意した。こうして黒板一面にボイラーの各機能を3色で描いた。  視覚に訴える方法は、どこの国でも有効だ。  さらにひとこと、ひとことをゆっくり何度も説明した。彼らの聴覚にも訴えた。  すべての説明を終えたとき、それは生徒全員が理解した瞬間でもあった。  スタンディング・オベーションが起こった。  教壇ではなく横浜アリーナの舞台に立って、コンサートを終えたような気持ちになった。 「アンコール! アンコール!」 の声がかかれば、もう1度同じ講義をするつもりだった。
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