第1章

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    アノミー・トム        藤 達哉  オーバル形のリサーチ・ルームで男と女が壁一杯に広がったスクリーンを観ていた。そこには巨大な都市の空間がジオラマのように映し出されていた。やがてスクリーンに映像を送るレンズの眼は、高層ビルの谷間を降下し、ネオンサインの光が溢れる通へと降りていき、一人の青年の姿を捉えていた。 「ケン、都夢の様子はどうだい」 スクリーンを観ていた男と女が声に振りむくと、銀色に輝き身体に吸いつくようにフィットしたスーツを着た四十歳前後の長身の男が立っていた。 「ゼグノ司令、べつに変ったことはありませんね」 ケンと呼ばれた三十歳くらいの男がスクリーンから眼を離して応えた。彼もやはり銀色に輝くタイトなスーツに身をかためていた。 「セレナ、君はどうかな。なにか気がついたことは」 ゼグノがもう一人の二十代と思われる女性に訊いた。 「私も都夢について気づいたことはありません」 セレナは静かに応えた。 「そうか、一体これはどういうことなんだろうな」 ゼグノはそう言って、深い溜息をついた。 宇宙船スペース・アーク号の窓には漆黒の闇が広がっていた。  織部都夢は夜のオフィスでパソコンに向かいレポートを作成していた。時計は午後九時をまわっていた。文章作成が一段落し、眼を上げると、高層階の窓の外には、仄かな明るさを孕んだ夜空を背景に立並ぶビル群が不夜城のように光を放っていた。 彼は三十歳のとき企業派遣でアメリア国の大学に留学した。金銭欲と名誉欲そして闘争心むきだしのアメリアでの学園生活を二年経験し、帰国した彼の眼には、故国、天照国の社会は裏返した服のように色褪せて映った。 毎日判で押したような電気機器メーカーの勤務に倦み、帰国後まもなく現在のアメリア系のロッキー・コンサルティングに転職した。  〈なにかが変だ。なにがおかしいのかよく分らないが、なにか変だ。アメリアの学園に漲っていた、あの澎湃と湧き起こる力や熱気が微塵も感じられない。一体これはどうしたことだろう〉
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