歌うヘルプデスク

2/11
前へ
/11ページ
次へ
 幼い頃、母親の穂波が双子の兄、涼一郎とペアルックで色違いの長靴を淳一郎に無理やり履かせたところ、淳一郎は店の外に出た途端、大声で歌い始めた。 「ヤツは多分、俺の赤い長靴を履きたかったらしいです」 と、兄の涼一郎は思い起こしたように言った。  淳一郎のアウトドア的な趣味といえば、バイクだ。会社勤めをしている傍ら、休みが三日以上ある連休は日本全国をツーリングする。 ツーリング仲間の内村和哉は、鹿児島から九州を縦断中に淳一郎の背中を見失ったことがあった。そのときは四人で走り、休憩ポイントは事前に決めてあったのだが、その日は大雨で、淳一郎はしんがりだった。最初の休憩ポイントに到着した和哉は淳一郎の姿を探すべく後ろを振り向いた。和哉の目に映ったのは、ハイエースに並走するバイクだった。 そのバイクはそのままスピードを上げるでも落とすでもなく並走し、やがて和哉の視界から消えた。  温泉宿で淳一郎とは合流できたが、淳一郎は一人勝手にチェックインを終え、他の三人と顔を合わせたのは風呂場だった。和哉たちは不安を抱えながら探していたのだが、淳一郎は湯船に入ろうと滑って転び、タオルを落として歌いながら慌てている最中だった。 「もちろんみんなで問い詰めましたよ。そしたら、ハイエースに煽られたんだって。そういえば、並走しているのを見たとき、バイク音に負けず、メットのシールドを上げて大きな声でなんか歌ってたような…」  和哉は思い出して首をかしげた。  数ヶ月前、淳一郎は派遣先が変わり、物流関係の会社に派遣され、その会社のシステムをプログラミングする作業を任された。当初は社内で立ち上げたばかりの他のシステムが不安定で、そのメンテナンスをしていたが、それが軌道に乗り整ってきたので、今度はヘルプデスクの補助に回された。  システム関係の仕事は朝早く夜遅いこともまれではない。プログラミングを始めから見直して、終りが訪れることは永遠に無いような気になってしまう日々が続く場合もある。それに比べればヘルプデスクの仕事は、基本的に社員が発するパソコンエラーに対応すれば良いので、淳一郎としても気持ちが楽になった。けれど、システムメンテナンスもヘルプデスクも、その会社に支社がある場合には、その支社に出張することもある。淳一郎は数回、やむを得ず支社に足を運んでいた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加