歌うヘルプデスク

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歌うヘルプデスク

 堀井崎淳一郎の朝はなかなか早い。朝六時に携帯のアラームを止めると、まずたばこをふかしながら歯を磨く。フィルターの部分が濡れてしまうのに、歯ブラシを動かす合間に口にくわえる。なにせ三分で歯を磨かなくてはならないが、淳一郎は朝起きたらすぐにタバコを吸いたかった。淳一郎がタバコを吸うのは、朝のこの場面だけだ。彼曰く、喫煙すれば目が覚めて身体が動くのだという。 歯を磨きながら、合間にタバコを口にくわえながらもじっとしていない。昔ながらのアパートの窓をガラッと開けて二階から下を見下ろす。 「海が見たいなあ」  毎朝同じセリフを言う。そして咳き込み、慌てて洗面所に戻って口をゆすぐ。  淳一郎は、窓を開けて眼下に海があったら、さぞかし楽しい気分になると思うらしい。けれど次の瞬間、「否」と言う。  もしこの築五十年になるアパートが浜辺に立っていたら、潮風に電化製品がやられ、錆つきが早いことが分かっているからだ。 「それにしても~うみはいい~」  今度は顔を洗いながら歌う。びしゃびしゃになった床を、足を使ってバスマットで拭くのも毎朝の日課だった。そのまま朝食も取らず、家を出てIT関係の会社に向かう。 「普通の人と違うところ?そうですね、違うところというか、困ったことは、変な場面で歌い始めるところでしょうか。満員電車に乗って、舌打ちしてる男がいたんですけど、そしたら彼、突然歌いだしたんですよ。あれは相当恥ずかしくて困りました。周りの人は関わらないように目を合わせませんでした」 と、一時期一緒に住んでいた元カノは、恥ずかしそうに言った。  そんな彼女とも一年前に別れ、今はゲームソフトが散乱している六畳一間のアパートに、そのまま一人暮らしをしている。自炊はせず、コンビニ弁当を買って帰る毎日だ。彼女が炊飯器を持っていってしまったので新しいのをかったが、一度炊いたことがあるだけで、カラカラになった米がこびりついたまま、二度と蓋が開けられることは無かった。冷蔵庫の中身はほとんどペットボトルだ。飲みかけて賞味期限の怪しいものが奥の方に横たわっていた。 脂っこい中華料理好きの淳一郎だったが、体質のせいか若さゆえか、それとも朝に吸うタバコのせいか、どちらかというとやせ型の貧相な体型を幼少の頃からずっとキープしていた。  ファッションにこだわりは無いらしかったが、色合いには煩いようだった。
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