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そう、おっぱいの神が中年男性などという事は敬虔なおっぱい信者である彼にとって受け入れ難いものだった。
彼は中学生の頃来る日も来る日もおっぱいの神を夢想していた。
その瞑想にも似た思索の果てに1日を費やすこともあった。
その結果彼の中では「おっぱいの神なんだからきっと理想的なおっぱいをお持ちなんだろう。」という結論に達していて、それは彼に安寧をもたらしていた。
おっぱいの神に会うことが叶ったのならば、同時に理想のおっぱいを拝めるのだ。
おっぱいを崇拝しながらも未だその理想的なおっぱいが一体全体どういうものであるかという真理を見極められていない彼にとって、「理想的なおっぱいを持つおっぱいの神との遡行」は悟りと開くための唯一の手段であると考えられていた。
そしてそれは彼が日々の祈りを捧げるに十分な動機となっていた。
おっぱいの神に会うが為にのみ善行を志した。理想のおっぱいに会うが為にのみ心を正してきたのだ。
それが、女性でさえ無いなんて!
今までの生き様全てを嘲笑われているかのような屈辱を彼は感じていた。大いに自尊心は傷つき、レゾンデートルは失われつつあった。
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