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「まずはじめに、だいたいどういうことをご存知か教えていただきたいのですが、今回の事件について?」
黒蜜糖刑事が万年筆と小さなノートを取り出しながら聞いた。
和三盆刑事は、奥のほうで、過去に製作したデコレーションケーキの写真をまとめたアルバムを眺めている。
仕事をしながらで構わないと言うので、私はカウンターのなかでノートを開き、午前中に売れた商品の種類と数を記入しながら答える。
「ニュースで報道されていること、そのままです。このあたり始まって以来の大事件。大通りの老舗宝飾店『ジュエリー カラメル』で昨日の朝三時ごろ、警報装置が作動した。
警備会社の人が慌てて駆けつけると、ショウケースからは宝石がひとつだけなくなっていた。薄く黄色がかったムーンストーン。カラメルのご店主が直々に海外で買い付けてきたもので、あまり見ない色だからとずいぶん高値で買ってきたって一時期ちょっとした話題になりましたね。
そのムーンストーンは見た目から『レモンシロップの宝石』と呼ばれていたそうで。
盗まれたその場に犯人の姿はすでになく、手がかりもゼロ。警察は目下捜査中で、不審な人物を見かけたら捜査本部までご連絡ください―――という」
「やあ、お見事。簡潔かつ的確ですな」
焼き菓子を乗せたテーブルの前で和三盆刑事が言った。今度はクッキーの詰め合わせの見本を手に取り、紙箱にきちんと収められたクッキーの数をひいふうと数えている。
「平和が自慢のこのあたりで起きた大事件ですから。みんな、昨日からずっとこの話でもちきりですよ」
平和というのは尊いものだ。
けれど、あまりに平和が過ぎると、いつのまにか退屈という魔物がすっぽりと世間を覆ってしまう。
人々は日常のなかにきらりと光る剣を見つけると、それをしっかり握りしめて、魔物と必死で戦うのだ。そしてそれはこの近辺の人たちだって例外ではない。
事件が起こって以降今に至るまで、ご近所の奥さんたちの井戸端会議や朝の挨拶、果ては牛乳配達の男の子に至るまで、人々の話のなかに「レモンシロップの宝石事件」 のことが出なかったことはまず無かった。
少なくとも、私が知っている限りでは。
そしてその中には「警察がいながらなにをしているんだか」といった類の話も少なからず含まれていることも多かったが、それは言わずにとっておくことにした。あとから何かの時に、使えるワードかもしれない。
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