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「【あやかし】様、これはどういうことでしょうか?」
「どうもこうもないさね。私を怒らせたからだ」
入り口の戸を押さえながらにやにや笑う一月さんを見上げなければならないとは悲しい。負けじと睨み返してはいるが、ずいと身を乗り出している一月さんの頭ひとつ分を差し引いても、『男のときであっても』見上げなければならなかったのが悲しすぎるのだけれど。一月さんは背が高いから。要はあれだ。すらりとした美人というやつ。
「そうはおっしゃっても、怒らせることなんてしていませんよ」
マナーどおりのきれいな食べ方――とは思わないが、残さずに食べているオレ自身に思い当たる節はない。しかし、オレにはなくとも、【あやかし】様にはあるかも解らないのだ。もう一度考えるように顎に手を添えれば、【あやかし】様は「くっ」と笑いを堪(こら)えるような声を出す。面白いことなどひとつもないというのに。
「確かに、お前さんはなにもしとらんよ。お前さんはな」
言外に滲む『オレ以外』はどういうことなんだ。今度はそちらを考えるのに頭を使うが、母さんたちが一月さんになにかをするとは思えない。答えを促すようにじっと眺めれば、視界の端にしっぽが見えた。一度だけ揺れたお蔭であったが、あとはうんともすんともいわない。
ふたたび視線を合わせた先、一月さんは「婚約者にはそれなりの礼儀というものがあるとは思わないか?」とまた目を細めた。その言い方では不義理をされたことが明白だ。つまるところ、ひどく振られたのだろう。しかし、いきなりなにを言い出すのかね、この【あやかし】様は。
「婚約破棄にいなり寿司の詰め合わせとは笑わせてくれるわ」
「……ちょっと待ってください。いまなんか変な単語がありませんでしたか? ありましたよね。婚約破棄ってなんですかね?」
「婚約破棄は婚約破棄だろうよ。いや、それよりも外は寒い。なかに入りんさい。飲み物はいつものでいいな、小春」
【あやかし】様に手を引かれながら店内に入るが、『婚約者』と『婚約破棄』がオレに繋がるとは思えませんがね。今時の男子高校生たるオレは、誰かと婚約をしたことなどないわけだし。もちろん、年齢的にね。そもそも、家(うち)はありふれた会社員の家系なので許嫁も存在していない。
「――それで、婚約破棄とはどういうことでしょうか?」
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