第1章

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専攻はホテル・マネジメント学科。志望校は留学生の入学資格として、英語力TОEIC七百五十点以上を要求していた。 彼女は英語の勉強に精をだした。長い間眠っていた思いを実現しようと決めたとき、彼女の心なかに快感とも思えるはじめての感覚が芽生えていた。  「どうだった、今度の乗務は」 雅彦がオードブルのスズキのカルパッチョを口に運びながら郁子に訊いた。 「そうね、いつもどおりだったわ。べつに変 わったこともなくて」 彼女は細い指でパンちぎりながら応えた。  二人は麻布のこじんまりとしたフランス料理店にいた。               雅彦は二週間のニュージーランド出張から帰ったばかりだった。出張に出る前は準備に追われ、果たせなかった郁子との食事の約束を、彼はいま実行していた。 国際線キャビン・アテンダントの郁子は、                    北米の乗務からひと足さきに帰国し雅彦の帰りを待っていた。二人はお互いの仕事の 合間を縫うように逢瀬を重ねていた。 「体調はどう、大丈夫?」 雅彦は、郁子から国際線の厳しい乗務について聞かされていたので、彼女の身体を気づかっていた。 「体調はいいわ。心配しないで。でも、重いCを押していると時々腰が痛くなるの」 「Cってなんだい」 「あら、ごめんなさい。機内で食事や飲物を運ぶカートのことよ。キャビン・アテンダントの隠語でそう言うの。マニュアルに書いてある正式名はフード・キャリー・カーゴ」 「ふーん、そうなの。あれってそんなに重いの」 「乗客の食事と飲物が一杯詰まっているときは重くて大変。あれで腰を痛めるキャビン・アテンダントも結構いるのよ」 郁子はメインのオマールエビをナイフとフォークで器用に殻からはずして口に運んだ。雅彦は料理を運ぶ彼女の透きとおるような白く美しい指の動きを眼で追った。 「雅彦さんはどうなの。身体、大丈夫?」 郁子も雅彦の健康を心配していた。 「体調は万全。ニュージーランドは落着た 雰囲気だし、それに今回は客先の担当者がど こへ行くにも車で案内してくれたから楽だ った」  雅彦は郁子に、ニュージーランドで感動した山のこと、自然に抱かれた小さな街で堅実に暮らす人々のことなどを話して聞かせた。                  
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