第1章

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郁子はヨーロッパや北米便には頻繁に乗務し、現地の事情によく通じていたが、ニュージーランド便の乗務経験はあまりなかった。  「まあいいわね。オークランドには何回かフ ライトしたけど南島のクライストチャーチまで行くチャンスはなかったわ」 彼女は微笑み、雅彦の話に眼を輝かせて聞き入っていた。雅彦は彼女の笑みに心がなごんだ。彼にとって彼女と過ごす時間はかけがいのないものになっていた。 雅彦はラムステーキをほおばった。 「まあ、それ美味しそう」 郁子は雅彦の料理に視線をむけて言った。 「食いしん坊だなあ。それじゃ。すこしあげ ようか」 雅彦は笑いながらステーキをすこし切って 郁子の皿に乗せた。彼女はそれをひと口食べ た。 「美味しい。へんね、日本で食べるフランス 料理がいちばん美味しいなんて」 コースも終わりに近づいたころ、雅彦が気づ くと数組の客で店内は賑わっていた。 「料理はどうだった」 雅彦が訊いた。 「とってもよかったわ。それにワインも今 日の料理にあってたし。これどこの白ワイ ン?」 「ブルゴーニュ産だよ」 「そうなの。フライトでサービスするワイ ンはいつもボルドーばっかり。馬鹿のひとつ 覚えみたい」 「ブルゴーニュも美味いだろう」 「とっても美味しいわ。でも雅彦さんは肉料理なのに白でよかったの。わたしの料理に合わせてくれたの」 「これはムルソーっていうワインなんだけど、僕はこれが気に入っているから大丈夫」 「そう、それならいいけど」 「なにか追加する」 雅彦が訊いた。 「もういいわ。お腹もちょうどいいし、気分もいいわ。このお店、合格よ」 郁子は微笑んで言った。 「じゃあ、いつものバーで一杯やろう」 二人はレストランを出て、そこからほど近いバーヘ場所を移した。  二人はカウンターからすこし離れたテーブル席に坐った。 「僕はいつものシングルモルトにするけ ど郁子はなんにする」 「そうね、雅彦さんが選んで」 「そうだな、フライトのあとは疲れてるか ら、今日は軽いほうがいいかな・・・」 雅彦はちょっと考えてから言った。 「ハーバード・クーラーにしよう」 「あら、それって初めてね。何が入ってるの」 「アップルブランデーとレモンジュースだよ。ちょっと甘めで呑みやすいと思うよ」 雅彦が注文してしばらくすると、バーテンダーが振るシェイカーの軽やかな金属音が耳に快く響いた。
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