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「この音好きだわ。どんなカクテルが出てくるのか期待して楽しくなっちゃうわ」
郁子が話していると、オンザロックのウィスキーと控え気味の照明のなかで山吹色に輝くゴブレットが運ばれてきた。郁子はハーバード・クーラーをストローからひと口呑んだ。
「美味しい。さわやかな味ね」
彼女のちいさく形の整った唇から笑みがこぼれた。
「呑みやすいだろう」
「雅彦さんの、それはなんなの」
「タリスカーというシングルモルト・ウィスキーだよ」
「わたしも呑んでみようかな」
「なに言ってるんだい。これは強いから郁子には無理だよ」
雅彦は笑いをこらえながらウィスキーの強さを知らない郁子に言った。
「そんなこと言うんだったらわたしも練習して強くなるから」
郁子はちょっとすねてみせた。
「クライストチャーチでいいカップルに出会ったんだ」
「どんなカップル」
「現地のディーラーのセールスマンと奥さんなんだ。旦那はなかなかのハンサムで奥さんも美人で、魅力的な女性だった」
「まあ、女性のことはちゃんと見てるのね」
彼女は強い視線を雅彦に向けた。
「綺麗な女性は自然に眼にとまるだろう。べつにその奥さんに気があるわけじゃないさ」
「それなら許してあげる」
「彼らをみているとね、幸せそうなんだけど、これからどんな生活を送るのかと思うと・・・」
雅彦がロックグラスを口に持っていくと、グラスのなかで氷が泳ぎ軽い音をたてた。
「それ、どういう意味」
「クライストチャーチはちいさな街だからね、まだ若い二人がどうやって生きていくかってことさ。彼らはまだ三十代なんだよ」
「そこでの生活はつまらないかもしれないってこと」
「そう、あそこは神様に魅入られた楽園みたいな土地なんだ。だけど、どこにも行き場がないんだ。一生を箱庭で暮らすようなもんさ。僕なら耐えられないかもしれない」
「退屈過ぎるってこと」
「そうさ。そのカップルは幸せそうに見えたから、まだいいんだけど、ディーラーの社長にディナーに招待されたとき、社長の息子たちと話したんだけど、若い彼らはかなり焦っていたよ」
「どういうこと」
「日本のことを話したんだけど、日本やほかの先進国はどんどん進化して発展してゆくのにニュージーランドは取り残されているって言うんだ」
「そうね、そうかもしれないわね」
「若い彼らはそれを鋭く察知していて、随分苛立っていたよ」
「その気持ち、分るような気もするわ」
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