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雅彦と郁子はちょうど列の真中あたりの背の高さで、ペアを組むことになった。
雅彦は大学の体育の授業でテニスを選択し、多少の心得はあったが、郁子はほとんどビギナーのようにみえた。
プレイが始まって間もなく、相手方の思いがけない強いショットを受け、郁子が転倒した。彼女がコートに転んだとき、彼女の純白のスコウトが雅彦の眼に眩しく映った。
彼女は膝に軽い擦過傷を負い、白い肌にわずかに血が滲んでいた。雅彦はコートサイドのベンチから救急箱を持ってきて手際よく手当した。
「ありがとう。あなたって手当が旨いのね」
郁子はちょっと驚いた様子で長い睫の眼で雅彦を見つめて礼を言った。
雅彦は大学時代に籍をおいていた山岳部でファースト・エイドの訓練を受けていた。学生時代に身につけたスキルが思わぬ形で役にたった。
プレイが終わったあと、夕刻から六本木で呑み会が持たれた。洒落た雰囲気の居酒屋風の店だった。雅彦は狙いどおり郁子と隣りあった席についた。
「お酒はあまり強くないの。でも、ワイン系なら大丈夫よ」
郁子はそう言いながらキールを口に運んだ。工夫を凝らした美味しい和食と心に魔法をかけるカクテルで二人の心はほぐれていった。
郁子は雅彦より二歳年下だった。彼女は米国の大学に留学し、英語力を活かせる仕事を希望していた。帰国後、今の航空会社に就職し、国際線キャビン・アテンダントとして勤務していた。
彼女は妹がいるとも話した。短い時間だったが、雅彦は自分でも驚くほど郁子のことを知ることになった。
静かだった居酒屋は時がたつにつれて、たわいのない会話と幸福な笑声に満ちていった。
郁子は国際線のクルーとして世界各地へ飛んでいた。ヨーロッパ線の場合は、一旦乗務すると一か月はヨーロッパに滞在することになる。帰国すると、暫くは国内に滞在する。
雅彦の場合は、海外出張の命令が突然くだされる。グローバル化した激動のビジネス界では、予定というものは成り立たない。状況は目まぐるしく変化し、一瞬の躊躇も許されない。
若い社員は組織が繰りだす容赦のない命令で世界の果てまでも派遣される。社員の経験不足を知りつつも、そうせざるを得ないのが組織の実情だった。会社の経営陣にも事態の結果予測すら困難な世界が眼前にあった。
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