第1章

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 折からの円高で雅彦の担当ビジネスは問題を抱えはじめた。急激な円高は輸出競争力に大きな影を落としていた。輸出、輸入、国内取引とバランスのとれた取引構成を維持している大手商社はまだ恵まれている。   輸出に特化したメーカーや中堅商社は、いまの円高が続けば息の根を止められる。雅彦の仕入先は世界屈指の大手メーカー、ダン・ガード社だが、それでも競争力の低下に喘いでいた。      グローバル化したマーケットで鎬を削る競争を展開するなか、今回の降って湧いた円高は致命傷になりかねない情勢だった。  雅彦の新規の商談も難航し、既存の契約は採算割れとなり、彼自身、窮地に立たされていた。取引条件につき世界各地の顧客との交渉が必要となっていた。           このような状況の下で、彼は先行に強い不安を抱いていたが、彼の頭のなかには円高メリットを活かす新しいビジネス・モデルの芽が育ちつつあった。   <なにか革新的なアイデを産み出さないと・・・>                   それはまだ漠然とした思考の域をでず、上司に提案できるようなものではなかった。   しかし、はっきりとした形は見えないものの、心の底になにかが生まれる予兆を彼は感じていた。それは、謙治が所属する輸入営業部で成功を収めつつある投資を軸にした輸入ビジネスをモデルとするアイデアだった。    神宮の森を見おろす高層階のオフィスの窓には、深夜にもかかわらず煌々と明かりを放つビル群が映り、ガウンを纏った巨人を思わせた。 雅彦は、北米、ヨーロッパ、中南米、中近東と地球上に散らばった顧客との困難が予想される商談に思いを馳せた。 <顧客にはこちらの採算改善のための条件を呑んでもらうよう説得しなければならない。そのためには、こちらの窮状を訴え、合理的で誠意のこもったインパクトのある説明が必要だ>                  地球の裏側の顧客に対しては、時刻を見計らいながら国際電話をかける。そのご確認のために入れるメールに、彼は自身の全思考と情念を託した。彼は感覚器官を全開にし、窓のむこうで深まってゆく夜の鼓動を感じながら交渉に臨んでいた。           郁子もこの空のどこかを飛びながら、華奢な身体で過酷な業務と闘っている。そう思うと、彼は郁子のことがこのうえなく愛おしく思われた。          *
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