第1章

2/86
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/86ページ
    月影のメッセージ    藤 達哉  澄みきった空から陽光が降り注ぎ、木々の新緑が輝いていた。真木雅彦は久々の休暇で青森にきていた。温泉宿の部屋からは、木立を縫って流れる渓流がみえた。風に乗って運ばれてくる清流の水音が、彼を想い出へと誘った。                    大学卒業後、商社に入社してから十年、激務に明け暮れる日々だった。商社といえば、近代的なビジネスに取り組む合理的な組織を連想させるが、伝統が支配する古い体質も色濃く残っている。海外営業担当の彼の仕事も丁稚奉公を思わせる上下関係のなかで始まった。                   輸出担当として年に数回の海外出張もこなしてきた。海外ビジネスに従事する間に、今になって思えば随分危ない経験もした。 彼は古い日記を見るように想い出を繰っていた。  搭乗していた飛行機が雷に撃たれ緊急着 陸したこと。初めての中近東出張で、うかつにも禁輸品のウィスキーを携行し、現地の税関で拘束されたこと。 深夜に突如、銃撃され九死に一生を得たこと。           そして、どのシーンにもそっと寄りそっていた郁子のこと。青森は二年前、郁子の葬儀が行われたところでもあった。  過去を映したページは尽きることがなかった。彼は宿を出て、奥入瀬渓流沿いの遊歩道に入り、湿った柔らかい土を踏みしめながら、ゆっくりと歩を進めていった。      間断なく耳に届く清流の音が心地よく、歩を軽くさせた。時がたつにつれて陽は高く昇り、木立の緑と流れはいっそう輝きをましていった。         *  京都の大学に入学してから三年目の夏休が終わり秋学期の講義が始まるころ、雅彦は就職のことを考えはじめていた。高校のころから、彼は漠然と海外関係の仕事に就きたいと思っていた。それで大学の経済学部に進学し国際貿易を専攻した。輸出に強いメーカーか、幅広く海外ビジネスを展開する商社に勤務できればと思っていた。関心のある会社について調べたが、海外業務に就ける可能性の高いのは、やはり商社だという結論に達した。          そのころ就職人気の高かった数社の大手商社の入社試験を受け、運よくそのうちの一社、パシフィック商事に受かり入社した。  時代の最先端を行く先進的なビジネスで
/86ページ

最初のコメントを投稿しよう!