第1章

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社長の妻のシャーロットが片付を終えて雅彦の向かいに坐り、話に加わった。 「それで、これから日本の交通システムはどうなるのかしら」 「ミセス・ウィリアムズ、聞いてらしたんですか」 雅彦が微笑んで訊き返した。 「みんな大きな声で喋るから聞こえてましたわ」 彼女は面倒見のいいタフな中年女性の風貌を持っていた。六十歳にちかい年齢で白い肌に褐色の染みが浮いていたが、しなやかな身のこなしは歳を感じさせなかった。セミロングの綺麗な金髪を指で整えながら話はじめた。 「息子たちはすこし焦っているのよ。日本 もそうだけど、ほかの国はどんどん変わっ ていくのにこの国は眠ったまま」 「そうですか。でも、日本とこことどっちが幸せですかね。いちど、日本の朝の満員電車に乗ってみられたらいいんですけどね」 「それってどんな感じですの」 「たとえばですね、人が溢れていて電車に乗り込むときには、ドアのところで駅員が掛け声をだして、乗客を力一杯車内に押し込むんですよ。そうしないと、ドアに人がはさまれ電車が出発できないんです」 「まあ、そうなの」 「うまく乗り込んだあとも大変です。勿論、 本や新聞は読めません。そんなスペースは まったくありませんから。逆に鞄なんかを落としても大丈夫です」 「あら、どうして」 「ぎゅう詰めですから人と人の間に物がはさまって落ちないんですよ」 「まあ、それじゃお年寄はどうするの」 「朝夕のラッシュアワーにお年寄は無理ですね」 シャーロットと二人の息子は互いに顔を見合わせた。あの惨状が彼らには分らなくてもしかたがない。実際に乗ってみないと分からないだろう、と雅彦は思った。 「電車に乗るのも大変みたいですね。それで、日本の交通はこれからどうなるんですの」 彼女は気を取りなおしたように続けた。 「これからの交通システムの目玉はリニア・モーターカーです」 「なんですの、それ」 「普通のモーターではなくて磁石の反発力で車体を浮かせて走るんです。新幹線は時速三百キロくらいですが、リニア・モーターカーは時速五百キロ以上出ます」 「まあ、すごいわね」 三人は驚いた様子で雅彦を見た。 「ええ、まだすこし先の話ですけどね」 「ここでは永久に無理だ」 ネイサンはきゅっと眉をひそめて言った。
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