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「兄さん、僕たちの将来はどうなるんだろう。工業品は自国では何にも生産できず、できるのは羊毛や食糧や一次産品ばかり。うちの会社だって輸入品を販売しているだけじゃないか。これからも羊や葡萄が育つのを、ただ待っているだけなのかい」
エリオットは真顔で兄を見ながら言った。声には力がこもり酔から覚めたように見えた。兄は沈黙し、ブランデー・グラスをじっと見つめていた。
雅彦は彼らの体内に充満し、解放を待つエネルギーを感じたが、表情の裏には言いようのない哀愁が見てとれた。
ニュージーランドは南太平洋に浮かぶお伽の国なのか、それとも進歩の風が吹かない悲劇の国なのか。雅彦も継ぐべき言葉が見つからなかった。
時間は慌ただしく過ぎて行った。それでも、ほっとするひと時もあった。
仕事に区切りがついた週末に、雅彦に退屈な時間を過ごさせまいと、ディーラーのセールスマンのトムが彼をドライブに誘いだしたのだ。
ニュージーランドの南島の中央部にあるクライストチャーチは眠ったような街だ。緑の木立と豊かな草花に恵まれ、街全体が美しい公園を思わせた。レンガ造りの建物が古風な街並を創り、十九世紀のイギリスを思わせる風情があった。
早朝、雅彦、トムそれに彼の妻のアンの三人は車でクライストチャーチの街を後にした。
出発して間もなく、雅彦はホテルのロビーにバッグを置き忘れたことに気づいた。すこし寝過ごして慌てていたので置き忘れたのだった。
「トム、バッグをホテルに忘れました。ちょっと戻ってもらえますか」
雅彦が運転中のトム呼びかけた。
「マサヒコさん、大丈夫ですよ。帰ってか
らで。誰も盗んだりしませんから。ちゃんと置き忘れた所にありますよ」
トムが自信ありげに応えた。雅彦はバッグのことが気がかりだったが、彼の言葉に納得せざるを得なかった。
三人を乗せたワンボックス・カーは、すれ違う車もない道をひた走った。
道の両側には牧場が広がり、羊の群が牧草を食んでいた。のどかな風景がどこまでも続き、雅彦には時間が止まったように思えた。やがて車は、緑に包まれたなだらかな丘陵地帯にはいり、トムの手馴れた運転でワインディング・ロードを疾走した。
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