第1章

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今朝(10月1日)出勤前に朝生を見た。 天皇制についての討論で、旧皇族の竹田さんも参加していたからだ。 田原総一郎の独善的司会はともかく、竹田さんは男系天皇を主張していたが、その他に興味深い事を語られた。 それは、天皇家の成立に関する事で、5世紀に共立されたという事だ。 そして、何故世俗的な幕府という権力の上位の存在として、権威だけの天皇家があったのか? これは、最初に確認しなければならない事なのに、田原は、そんな時代に天皇など知られていないの一言で、この話を切ってしまったのだ。 だから、代わりに書く。 5世紀の共立という問題に関しては、大和の古代遺跡の土器等の様子から、東海と機内・瀬戸内・出雲・北九州の順で集積されたのが証明されたという事実があり、これが共立の証拠だとする研究者がいる。 それを天皇家に連なる竹田さんが言ったのは大きい。 記紀の記載事項とは別な伝承が、天皇家に伝わっていた可能性があるからだ。 竹田さんは、約 600年前に、第2天皇家として成立した家系の方だから(代々親王の称号・普通は直系から代が下がると親王から王に称号が変わる。)そちらに伝わった伝承かも知れない。 この共立の意味は非常に大きい。 普通は征服王であり、共立された王とは、中国の儒教思想では王道であり、征服王は覇道の王なのだから…… 革命という言葉の本来の意味は、中国の王朝交代に使われた言葉であり、中国史は全てが王朝交代の易性革命と言われた物であり、共立王は、夏の初代王以外居ない。 幕府の上位に居た天皇家の権威は、田原総一郎に言わせれば世の中の人間は知らないという事だが、当時の人間も学問はしていた。 その中の大名家なら、先生は僧侶や神官や公家さんであり、先生が自分の権威付けの為にも、さらに上位の天皇家の話をしなかったという事はあり得ない。 慶応なら福沢諭吉、早稲田なら大隈重信、北大ならクラーク博士。 これと同じで言わない訳が無い!
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