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「どけッ!」
ナイフを振りまわした男が、店内を走ってくる。その後ろから追いかけてくるのは、彼だ。
俺と目が合った途端、彼の顔に動揺が走った――次の瞬間、制止する暇もなく彼が男に飛びかかった。
男と揉みあって床に倒された彼に、さっと背筋が冷えた。肘が鳩尾に入っただけらしいと 見て取って、ほっとする。
盲滅法ナイフを振り回してくる男の手首を掴むと、後ろに捻り上げた。難なく床に押さえ込んで警察手帳を出す。途端に男が静かになった。
すぐにサイレンの音が近づいてきて、見知った顔が飛び込んでくる。
「多紀!」
「ナイフはそこだ」
少し離れたところに転がっているナイフを顎で示した。
警官隊に男を引き渡して、彼を振り返る。嬉しそうな笑顔で迎えられてひどく腹が立った。
ずきりと自分の手に走った痛みは、彼の左の掌に滲む血が呼び起こした幻痛だ。
「――あの」
「馬鹿ものッ!」
自分でも驚くような声が出た。
びっくりしたのだろう。黒い瞳を大きく見開いて彼が硬直した。
「ナイフを持っている相手に、不用意に近づくんじゃないッ!」
唖然としている彼の手を取る。ナイフの刃先が掠っただけのようだ。傷はたいして深くはない。
そこに視線を落とした彼が、あ、と目を見張った。傷を負っていることに、やっと気づいたらしい。
ポケットから出したハンカチを当てて軽く縛る。
「勇気と無謀は違う」
浅い傷にほっとして力の抜けた自分の指が少し震えていて、どきりとする。それを気づかれまいと声を高くした。
「駐車場に戻った時に本部から緊急連絡があって。慌てて戻って来てみればこれだ。民間人が危険な真似をするんじゃない。テレビドラマとは違うんだ。」
「でもあの」
口を挟んでくる彼を、何だと睨みつける。
「多紀さんが危ないって、思ったら……勝手に身体が動いちゃって」
その言葉に、思わず彼の顔を見返した。
良かった、無事でとひたりと見つめてくる黒い瞳が――多紀さん、と呼ばれた名前が、身体のどこかを波立てた。
「……裏に救急車が来ているから、診て貰うといい。あとで事情聴収にも協力してくれ」
強いて無表情を保つと、俺は身を翻した。現場は他の者に任せて警察庁へと車を戻す。
――俺を、庇おうとしたのか。
無事で良かったと笑った彼の顔が、何度も何度も繰り返し、脳裏でリプレイされていた。
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