はじまりはある客人の訪問

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     現在、『聡一一座』が舞台を構えるのは、横浜は伊勢佐木町にある大衆劇場だ。横浜での最終日に当たる今夜も、一座の公演は満員御礼の盛況ぶりだった。  満席の劇場には一人の人物が訪れていた。横浜界隈ではその名を知らぬ者がいないと言われる、大物実業家・嶋田朔太郎、その人だった。  小柄で華奢な白髪の老人だが、穏やかな笑みに隠された鋭い眼差しには、策士の一面を伺わせた。  幕末に生糸貿易で財を成した朔太郎は、弁天通りに大店の『壽屋』を構える豪商の一人だ。最近では金融や政治という異なった世界でも、その多才な活躍ぶりを見せている。  店舗の奥に住居を備えた大店だけでなく、他の豪商が屋敷を構える野毛山にも別邸を構える。昨年には孫娘・みさを夫婦のために、本牧三之谷に煉瓦作りの洋館を建てたというから、その盛況ぶりは一目瞭然だろう。  今回、その朔太郎が『聡一一座』を訪れたのには、ある理由があった。若夫婦が所帯を構える本牧三之谷で、洋装姿の女の幽霊が出たと奉公人が大騒ぎしたのだ。  最初は幽霊の存在など信じるはずもなく、誰も取り合わなかったらしい。  ところが、以前にも『壽屋』や野毛山にある別邸でも、幽霊を見たという奉公人が一人、二人と現れ始めて事態は急変した。  目撃証言が出てくると信憑性も増してくるようで、ようやく朔太郎も幽霊の出没を信じるようになったという。  そして、その幽霊の《からくり》を是非とも暴いて欲しいと、何故か奇術師の聡一に泣きついてきたのだった。
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