序章

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 時は明治二十一年。日本では空前の西洋奇術(*手品)ブームが起きていた。  それまでも西洋奇術は世間の注目を集めていたが、この年に起きたブームは今までの人気をはるかに上回り、幅広い層の観客を取り込んでいった。  これ以降、日本古来の手妻(《てづま》*西洋奇術が洋妻と呼ばれたのに対し、和妻ともいう)に代わり、大仕掛けを使用する西洋奇術が主流になっていく。   もちろん、ブームの最中には数多くの奇術師たちが出現した。その中でも特に際立った活躍を見せた一人の男の存在があった。  その男の名は牧村聡一。先達の奇術師の名にあやかって「鶴天斎聡一」と名乗り、一躍時の人となった奇術師だ。  神戸で美術宝飾品の貿易を商うかたわら、見世物の興行などもおこなっていたイギリス人ジョゼフ・カーターと知り合い、聡一は西洋奇術の手法を学んだ。その後、『上海帰りの西洋奇術師』という触れ込みで、大阪は千日前や道頓堀の劇場を中心に活躍している。  聡一は日本人としては体格が良く、その立ち姿は堂々たるものだった。そして、舞台映えのする派手な顔立ちに、粋なカイゼル髭を蓄えた色男でもあった。黒い燕尾服を見事に着こなし、頭にはシルクハット、手にはステッキを持つという本格的な洋装姿で、華麗な奇術を披露し多くの人々を魅了した。   加えて良く通る大きな声で繰り出す口上も滑らかで、観客に求められれば舞台上で詩吟や小唄なども披露するという、持ち前の器用さも存分に発揮した。そんな多彩な面も?I天斎聡一の人気に拍車をかけたのだろう。
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