はじまりはある客人の訪問

3/9
前へ
/188ページ
次へ
「だから、今はそんな講釈はいらないんだって! 華ちゃんの合図で傘を開くと、水が出てくる仕掛けになっているんだからね。その辺りの間合いをしっかりと掴んでもらわないと、裏方だって困るんだから。まったく、口が減らないは誰に似たのやら……」 「あら、あら。また聡吉のお小言が始まったわ」  華子はうんざりした様子で、勢いよく日傘を振り回し始めた。 「あっ、それはやめてくれ! そんなに傘を振り回したら、仕掛けの管が抜けちまうじゃないか!」  水芸とは即ち水を使用した見世物で、起源は江戸時代にまで至る。『水がらくり(水機関)』『水しかけ』『水の曲』と呼ばれていた。享保十八(一七三三)年頃に書かれた『唐土秘事海』に「蝋燭の真(芯)より水を出す事」という、水芸の原形といえるよう記述が残されている。  これは逆サイフォンの原理を用いて高所の水桶から落とした水を、もう一度上げて蝋燭に仕掛けた穴から上向きに水を噴射させるというからくりだった。  時を経て『水がらくり』は進化し、天保七(一八三七)年の頃に「満干(みちひ)の玉」と呼ばれる演目で、演者の手先から水が噴き出るという革命的な演出が生まれた。それ以降、幕末から明治時代にかけて水芸の形式が完成し現在に至っている。  水芸では仕掛けに水を送る送水管は、まさに命綱だ。その昔は体に仕込んだ水袋を押して、チョロチョロと水を出していた。  やがて時が流れ、蘭法医が使うゴム製カテーテル(測胞子(そくほうし))に目をつけた手妻師が、それを小刻みに切って竹の管とつなぎ合わせるという改良を図った。すると、水漏れが減り、水の勢いも強くなった。  それから水芸は格段と進化の道をたどっていくのであった。
/188ページ

最初のコメントを投稿しよう!

303人が本棚に入れています
本棚に追加