第1章

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     サイバー・ディリュージョン   藤 達哉  白波が静かに砂浜に打ちよせ、爽やかな風が頬を撫でていた。 織部祐磨と倉橋繭子は柔らかな砂を踏みしめながら、ゆっくりとした足どりで歩いていた。 霞がかった空を、銀色に輝きながら音もなく滑って行くスカイ・コミューターを二人は見送っていた。スカイ・コミューターは垂直離着陸できる小型ジェット機で、主に都市間を移動する通勤客に利用されていた。 時間を忘れて歩き続けると、おぼろな水平線に島影が見えはじめた。暫く島影を眺めたあと、再び歩みを進めた。やがて街並に近づき、人の姿も見えはじめた。国道沿いの歩道を何組かのカップルが、一様に沈黙のうちに歩いていた。 〈ねえ、なに考えてるの〉 繭子の電子音のような声が祐磨の頭の隅に響いた。繭子の唇は動いていなかった。 〈僕たちのことさ〉 祐磨の声も繭子の脳裏に届いた。彼の口許も動いていなかった。 〈僕たちのことって〉 〈僕たちのこれからのことさ〉 〈これからって〉 〈僕たちの将来さ〉 〈あら、どういうこと〉 〈こんな関係がいつまで続くのかなあっと思って〉 〈いやだわ、続いちゃいけないの〉 〈そんなことはないけど、それから、いま見ているこの世界がどうなるのかと思って〉 祐磨が微笑み、ようやく唇が動いた。 〈そんな難しいこと言っても、分らないわ〉 繭子も微笑み、白い歯を見せた。 〈時々、奇妙に感じるんだ〉 〈えっ、なんのこと〉 〈僕たちが見ているこの世界は、本当にありのままなのか、って思うんだ〉 〈別の世界があるってこと〉 繭子は訝った。 〈うん、いま見ている世界はバーチャルで、見せられているような気もするんだ〉     二人のやりとりは声を介さず、お互いの脳から脳へと伝わっていた。会話の必要はなかった。繭子と祐磨の脳内には超小型通信機、パレントがインプラントされていた。祐磨は十三歳の時、手術によりパレントを埋込まれ、以来そのディバイスが脳内で稼働していた。繭子は一年遅れてパレントをインプラントした。パレントは人の脳波を捉え同調する他のパレントに直接意思を伝達する。これにより、人は声を介さず、心が発する思いを瞬時に意図する相手に伝えることができた。パレントを介して相手の脳波を受けると、脳内に声が響き、あたかも直接会話をしているようにコミュニケーションがとれた。
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