第1章

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天皇家の血筋と共立の話の前に、歴史の年代区分を書いてみると 縄文(旧石器?新石器)・弥生(稲作・青銅器)・古墳(青銅器・鉄器)・飛鳥(大化の改新・任申の乱)奈良・平安・鎌倉・南北朝(吉野)・室町・安土桃山・江戸・明治…… 縄文と弥生は土器からで、古墳(大和)は巨大古墳が造られた時代だからで、()内は、大和朝廷がこの頃に成立したという事であり、朝生の旧皇族の竹田さんの共立発言は、この時代の事になる。 奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡の出土品が、この発言を後押ししている。 ここから前方後円墳が始まったとされる遺跡で、東海・北陸・瀬戸内・出雲・北九州の土器が集まって来ている為に、政治的都市遺跡だと言われている。 邪馬台国の畿内論者はこの遺跡を根拠にするという、重要な遺跡だ。 土器の出土状況から天皇の共立=大和朝廷成立を論じる人も表れた。(関祐二) この現状と竹田さんの言葉は合致する。 中国の時代区分を参考に書くと、夏・殷・周(春秋・戦国)・秦・漢(前・後)三國・晋・五胡十六国・南北朝・随・唐・五代・宋・(遼・金・南宋)元・明・清・中華明国・中華人民共和国。 こう並べると、異民族の王朝が多い事が判るし、覇者による王朝交代だった事がわかる。 三國(魏・蜀・呉)時代に邪馬台国が存在したのだから、共立されたとすれば晋の時代までの事だと思われる。 中国の王朝の最初の夏は、初代の禹が共立されて王朝が始まった。 その後は覇者ばかりだ。 儒教の始祖の孔子は春秋の頃の人だが、この時代区分を見ると、儒教とは中国人の無い物ねだりだったのではないかと思えて来る。 共立されたかどうかは別にして、飛鳥以後の天皇家の血筋は絶えていない。 安心感が存続した理由だと書いた訳が多少は理解されると思う。 天皇家は、存続するというその一点でカリスマを纏ったのだ。 共立の段階で、天皇家の血筋は、卑弥呼と同じように強力なシャーマンだと思われていたのだと思う。 日本は人間が神になる国だから、古代なら尚更。 縄文以来の自然信仰と呪術とが混在する神道の古型が成立したのもこの頃かも知れない。
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