第1章

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仏教が入って来ても、この古神道は多少型を変えてより強力になった。 仏教の因果律が怨霊信仰の根の部分だと思うのだが、日本最強の怨霊は、天皇家から表れる。 『太平記』にも描かれた崇徳天皇だ。 天神様の菅原道真や、神田明神の平将門より強力な怨霊・崇徳天皇。 平将門の首塚の敬われ方を考えたら、その強力さが理解出来るでしょう。 崇徳天皇こそ、天皇家の霊的能力をより輝かせた存在であり、天皇家のカリスマは更に強化されたのだ。 足利氏のカリスマも、織田信長のカリスマも、結局は天皇家のカリスマを超える事が出来なかった。 だから、徳川家康の知恵袋の天海(明智光秀だと言う説もある)は、天皇家を伊勢神宮の大祭司にする案をだした。 天海は、天皇家を権力から切り離した存在として考えたのかも知れないし、天皇家のカリスマを恐れて限定しようと考えたのかも知れない。 そして明治になり、天皇家は日清・日露戦争に勝った勢いで、そのカリスマは軍部と一体化して大東亜戦争に突入し、敗色濃厚になると神風特攻隊を生み出すまでに輝いた。 敗戦でそのカリスマは、消えるかと思われたのだが、(マッカーサーは統治に利用しようと考えたが、昭和天皇の全国行幸に最初は安全面で反対していた事を考えたら、カリスマは消えたと考えていたと思う)昭和天皇は全国を行幸した事で、失われかけたカリスマを補強し、型を変えて復活させた。(安心感をより強化する型で・終戦直後の昭和天皇の全国行幸時の国民の熱狂は、あの混乱の時代に安心感を得たからだと思うのだ) 昭和天皇から今上陛下に男系で継続されたからこそ、今の天皇家はある。 民間から初めて皇后になったとして、美智子皇后のご成婚の時のブーム(ミッチーブームという)があったが、この意味を考えて見たいのだ。 新たにカリスマを補強・復活させた昭和天皇の皇太子として認知されて居たからこそ、民間から初の美智子皇后を大歓迎したのだ。 昭和天皇に男系皇太子が居なかったと仮定して、民間からお婿さんが入ったとしたら……どう考えてもあそこ迄のブームは無い! それは『女の腹は借り腹』という女性の身分は問わない風潮も、戦国時代からの身分制度の流れの中だけでは語れない現象を考えてみたい。 長くなったから、それは次回に
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