主役、脇役

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主役、脇役

憑き物が落ちたように笑みを浮かべる一真につられ、夕子も街を眺める。ヒートウォールの方角から吹く高温の空気が、肌をなでていく。この距離でこのくらいなのだから、あそこにいる人たちはどれほどの熱波を浴びて―― いや、と夕子は想像を止めた。灼熱の気流にのまれた人たちがどうなったかを、知っていたから。 「当時の東京も、ヒートアイランド現象に相当参っていたんだ。なんとかしろって声も、担当者を相当苦しめた」「だったらなんで、わざわざビルを増やして悪化させるようなことを……」「嫌になったんじゃないか?」「そんな、子供じゃあるまいし」 「想像してみろよ。死者が出るほどクソ暑い。なんとかしろってプレッシャーかけられる。じゃあビルを低くしましょう、間引きして風を通しましょう、って提案したところで、賛同者がどれだけいる?」 それは、いないだろう。東京はもはや、衰退することを許されないほどの巨大都市になってしまった。当時は、より高く、より多くのビルを建てることが「発展」だったはずだ。 「だから逆手にとって、超高層ビルの建設を推奨するように仕向けた。商業、建築業は喜んでビルを建てただろうよ。木造住宅も次々と鉄筋に建て替えた。そうやって、ヒートアイランド現象を極限まで高めた。誰もが本気でもうだめだと思う状況にしたかったんだよ」 ご希望通り、異常な気温上昇で冷房や精密機械、そこに生きる者たちは悲鳴を上げた。でも、政府は動かない。 「あるいは都心で大規模火災でも起こればいいと思っていた。壊すしかない状況に、したかったんだ」 乾燥と気密性の高さで火はあっという間に広がり、火と熱は超高層ビル群に阻まれ逃げ場を失った。 すべて思惑通りに事が運んだのだ。ヒートウォールという大災害を生み出して。 壊すなら……やり直す機会があるとしたら、今――今なのに!千石総理は、ビルを破壊する気がない。その力があるのに。朝美を助け出す力があるというのに……! 羨ましく思うと同時に、憎くて憎くてしょうがない。何もせずこのまま見殺しにするというのなら、私は本当に――千石総理を許さない。 「ま、本当にやる気なら東京全土を超高層ビルに替えている。都心だけに済ませたのは、せめてもの温情だったのかもな」 怒りと憎しみは、夕子に妙な冷静さを与えた。 「……なんで一真さん、そんなに詳しいんですか?」 こんな話、学校でもテレビ番組でも聞いたことがない。かつて誰かが、壊すために東京の発展に拍車を掛けさせたなんて。なのになぜ、一真はそんな話を知っているのか。 「夕子が、こんな街早くぶっ壊せばよかったのにって言ったときに思い出した。ガキの頃に聞かされたんだよ」「誰がそんな話を」「あれ、親父だったのかな。親父なんだろうな。――俺はまだ小学校に上がる前で、部屋でブロック遊びをしてたんだ」 一真の目は、かつての遠い日を見つめていた。 「いつの間にかそばに親父がいて、俺が積み上げたブロックを見ていた。別人かと思うくらいひどく疲れた顔をしていて、俺に聞いたんだ」「……なんて?」一真はゆっくりと口を開いた。「『お前なら、どうする?』って――」 夕子は眉をひそめて話の続きを待った。 「ブロックに触れて、『この大きな建物の中が火事になったら、誰も逃げられない。中の人を助けようとして建物を壊すと、今度は外が火事になるんだ。鎮火するまで放っておくのか、あるいはどちらかを犠牲にして建物を壊すのか……。お前なら、どうする? そのときが来たら、私はどうしたらいい?』って……」 夕子の眉間に深いシワが刻まれ、表情はそのまま硬直した。思考も、凍りついた。 「大人ってバカだよな。子供だと思って油断して。子供の方がむしろ記憶力すごいのに。さっきの東京を作り変えた人の話まで俺にしゃべっちまってさ。――親父のあんな顔、見たことなかったな」 「一真さん……」 一真の父は、どうしてその話を知っていたのか。一真の父は、どうしてそんな表情をしていたのか。一真の父が言う「そのとき」とは、「どうしたら」というのは―― 「誰にも話すなって強く言われたよ。バカだよな、自分から国家機密ベラベラ喋りやがって」「一真さん」 どうして、あなたのお父さんは、国家機密を知っているの? 「歴代の総理大臣に引き継がれる案件らしい。親父、当時の総理の愛弟子だったから。『いずれお前にも引き継がれるから今のうちに考えとけ』って言われて――」「一真さんっ!」まさか、一真の父というのは―― 「ごめん夕子。俺の親父、千石一明っていうんだ」 熱い空気が、夕子の頬をなでていった。「千石一明」――日本中の人が、その名を知っている。 「うそ、だって一真さんのお父さん、経営者だって……」「うそじゃない。職業は総理大臣。日本っていう国の経営者。もっとも、給料は国民からもらってる立場だけどな」「父親……? 千石一明が……総理大臣の、あの人が?」「俺のフルネーム、父親と一字違いだからカンのいいやつは気付く」 だから初めて会った時、一真は名字を言わなかったのか。 「千石一真」――最初にそう言われていたら、たしかに冗談でも「千石一明と親子なのか」と一度は考えてしまう。 「庇うつもりはないけど、少なくともあのとき、親父もたしかに苦しんでいたよ。多分今でも、答え、出てないんじゃないかな」 一真が見つめる先にあるのは、赤々と立ち上る火炎と、ヒートウォール。今日の昼までは、人々が普通にあそこで暮らしていた。 「じゃあ本当に、あなたの父親は……千石……総理……」そしてあなたは、千石総理の、息子――「だったら……っ」「言っておくが」 すがるように言いかけた願いは、一真の言葉と、鋭く射抜く目に遮られた。 「俺は夕子の助けにはなれない」「……どういう意味?」「父親だと明かしたのは、夕子の話だけ聞いて、このまま黙ってるのはどうかと思ったから。ただそれだけだ。……俺には、この状況を変える力はない。脇役だからな」「……脇役?」「世の中には主役と脇役がいる。たとえ愚かでも、千石は主役で、俺は脇役だ」「何言ってるの? 主役とか脇役とか、そんなの関係ないでしょう?」 この人はまたゲームの世界に身を置くのか。 「関係あるさ。そうだな、夕子も主役タイプだ。妹を助けに行く勇敢で優しい姉。俺はそんな夕子のお供をする脇役。脇役はイベントを起こすことも、成功させることもない」「バッカじゃないの! 甘ったれないで!」 夕子の怒鳴り声に、一真が驚いて目を丸くしている。 「そんなの本人のやる気次第でしょう? 脇役だって決めつけてれば、そりゃいつまでたっても脇役のままでしょうよ。主役になりたかったらどんどん行動したらいいじゃないの! 違う?」「別に主役になりたいわけじゃない。俺は脇役で構わないし、脇役だという事実を言ったまでだ。夕子は力のない道化を拾った。外れクジだったな」「そんなの道化に失礼よ。それに今の話はあなたの本心じゃない。そうでしょう?」 あなたは父親の影なんかじゃない。 「ねえ一真さん、だったらなんで、ここまで私に付き合ってくれたんですか?」 大宮駅のそばでヒッチハイクしたとき、一真がつぶやいた言葉が脳裏に浮かぶ。 「イベント発生だからって言ったけど、それって自分から変化を望んでたんじゃないですか? 巻き込まれたんじゃない。参加して、自分の生き方を変えたいって思ったんじゃないですか?」「都合のいい解釈をするな。単に退屈してただけだ。そこへ夕子が現れた。だから送ってやった。それだけだ」「違うわ。変化を求めていなければ、私のことなんか無視して自分の生活に戻っているはずよ。イベントに乗るか乗らないか、それは結局のところ本人の選択でしょう?」 一真が夕子に背を向ける。 「……イベントはお互いに始まっていたのよ。私を拾ってくれたあのときから。一真さんは変化を望み、私は妹に会いたかった。あなたの人生から見れば、私が脇役なのよ」 背を向けたまま、一真は何も応えない。どうして? さっきはお父さんのことわかりかけていたのに。もう少しで朝美に、繋がりそうなのに―― 「……私だってなんの力もないわ」たとえこれが糸より細い希望だとしても、絶対に千石総理に繋げてみせる。「なんの力もないけど、それでも、今の私にできることはある」 朝美、お姉ちゃんが絶対に、助けるから。そう、今の私にできることは―― 夕子は両膝を地に着けた。その気配に一真が振り向く。「おい……」 せっかく力を持っているのに動かない人がいて、その人の息子が、今ここにいる。そしてこの人は、自分が変わることをためらっている。父に歩み寄ることに、一歩踏み出せないでいる。 だったら力を持たない私が今できることは、この人の背中を押してあげること。 「……夕子、やめろ」 アスファルトに両手も着く。手のひらと両膝から伝わる熱は、今は我慢できるが、すぐに低温火傷するだろう。 それでも構わない。目を閉じて、額もアスファルトに着ける。今の自分には、これしかできないのだから。 これで朝美が助かるなら、どうってことない。 「やめろ! 何やってんだお前!」「お願い」「頭を上げろバカ!」「お願いだから、ヒートウォールをなんとかしてえっ!」叫び声は、ほとんど悲鳴だった。「お願いよ……っ」のどが詰まり、両の目からぱたぱたと涙が落ちた。 まだ朝美を失いたくない。絶対助けてみせる。節操なんかなくても構うもんか。すがるものがあるなら活かしてみせる! 「お願い……ビルを壊して……。妹を……朝美を助けて……っ」 もしも……もしも間に合わなかったとしても…… せめて  朝美の カラダ が     残って いますよう に 「やめろって! 顔に火傷したらどうする!」一真が強引に夕子の肩をつかんだ。頭を上げさせ、額についた砂や小石の粒を払う。 「……俺に頭下げろって言うのか? あいつに」「嫌なら脅迫でもなんでもいいから! 何かないの? お父さんの弱み!」 思いがけない言葉だったのか、一真はしばし目を見開いたかと思うと、大きく吹き出した。 「お前意外と腹黒いな」一真がくつくつと笑う。「朝美のためならなんでもするわよ」「なんでもか」「なんでもよ。千石総理の立場もわかる。でも見殺しにするというなら、あなたのお父さんは鬼よ。何もしてくれないなら、あなたも、私にとっては非道な鬼」 妹を助けたいという欲のために、私はあなたを鬼にする。 「でも一番の鬼は、――私」 朝美のためなら、鬼にでもなる。 「朝美を助けるために、私は外側の人たちの命を危険にさらす」「夕子にとっては、そのくらい大事なんだな家族って。……そういうものなんだな」 一真の言葉は、妬みや皮肉ではない。初めて触れる知識を、その心に刻んでおくかのようだ。 「結局のところ、私は自分の妹が助かればいいと思っている。目の前で人が火だるまになっていても、きっと妹を優先するんだわ。一真さんの言う通り、私は偽善者だったね……」「いや。俺はもう、そうは思わないな。妹を一番にと言いながら、結局目の前の人間を見捨てられないんだよ夕子は」 「……買い被りすぎです」「いいや違う。でなきゃ俺にあんなことしない」「あんなこと?」「男に襲われたばかりで、同じ男の俺をあんな風に慰めたりはしない」「あれは、だから……別に一真さんを慰めたわけじゃ……」「ありがとな」 あの行動の意図が、一真にしっかりばれている。 「夕子が教えてくれればいいよ。家族のぬくもりってやつをさ。その代わり俺は、夕子のためにできる限りのことをやってやるから」「うそ……本当に……?」「本当に。脅迫するネタはないけど、取り引きならできるかもな。やるなら早い方がいい」 一真がポケットのケータイを取り出した。その横顔は、憑き物が落ちたように清々しい笑みを浮かべている。 「これは俺の推測だけどな。夕子が思ってるより多くの人間が、実は助かってると思う」「えぇっ、うそ、本当に? どうして、どうやって、あんな……」 あんな未曾有の大災害だというのに。夕子の視線を受けて、一真は苦笑した。 「残念ながら、たまたま車で移動中だった人間と、一番外側のビルにいた人間は、ヒートウォール発生時のあの気流でまず助からなかっただろう」 夕子もうなずく。あれはとても逃げきれるスピードではなかった。あんなのがビルに流れ込んできたら、中も一瞬で火の海だろう。 「それ以外の人間は、大概屋内にいただろうから、今頃まだ冷房に生かされてるだろう」「ほ……本当にっ?」 「あのな、夕子はわかんないだろうけど。今の東京で、外を無防備に歩く人間はほとんどいない。東京の夏は本当に暑い。死ぬほどな。だからもう人は外に出られないんだ。一日中冷房の効いた屋内に避難してる。そしてその建物のほとんどは、火災に強く作られている」 あ、と夕子の口から声が漏れた。たしかに、テレビで見たときビルの壁はことごとく熱で歪んでいたが、燃えてはいなかった。発火したのはビル外壁の装飾品や、車、街路樹―― 「じゃあ、あのとき、中心部のビル内にいた人は……」一真がケータイの画面を軽く操作する。「上手く対処していれば助かっているはずだ。早めに防火扉を作動させるとかな。ただ……」 ケータイから顔を上げ、夕子を見つめた。 「自家発電がやられて冷房が止まったら地獄だ。だから早めに手を打たないとダメなんだ」 一真が再び視線をケータイに戻し、通話ボタンに触れる。何回かコールして、相手が出た。 「――あ、忙しいとこごめん」まさか……!「ああ、今んとこ無事。父さんは?」 父さん! ということはやはり千石総理!本当に電話してくれてる……でもよくこんな非常事態に、総理も私用電話に出たものだ。 「――大丈夫だって。そのときは東京にいなかったし。……うん、心配しなくていいって」 矢継ぎ早に安否を確認されている。――千石総理もやはり、一人の父親なのだ。 「忙しいだろうから用件だけ言うよ。ビルを破壊してほしい。上昇気流は弱くなってる。夜になったからってのもあるけど、少なくとも北側は火災の規模が縮小している」 さっきまでの腰の重さは一体どこへ。しかもいつの間にそんな細部まで観察していたのか。 一真の話は続く。一気に全方位破壊すれば、延焼の食い止めは困難。南側は海からの風を防ぐために最後まで残しておき、まずは北側から徐々に破壊するべきだと。 「海風をブロックされてる状態だから、破壊と消火活動をしながら南下できる。もちろん、救助も」 救助!夕子は目を見開いた。救助が入る、朝美が助かる……! 「核を残したままでは、悪循環は断ち切れない。父さんがいかに多くの国民を憂いていようと、何もしなけりゃ当の国民には伝わらないんだよ。――何やったって非難はある。だったら少しでも人道的な策を執った方がいい。民意を多く味方につければ、父さんは名君と呼ばれるよ」 立て板に水とはこのことか。こんなに流暢に話せたのかと感心する。 「ああ、言っとくけど、上昇気流が弱いのは今だけだからね。勝負は朝日が昇るまでだよ」 薄く笑みを浮かべる一真は、国の一大事に一国のトップを動かす、そんな状況をも楽しんでいるようだ。 「破壊後の都市計画もあるけどそれはあとだ。一刻も早く破壊してほしい。今が『そのとき』だし、俺なら『破壊』を選ぶよ。――頼む、父さん」 夕子は耳を疑った。さっきまで頭を下げるのを嫌がっていたのに。 一真は目を閉じ、ケータイの向こうの父、千石総理の話をじっと聞いている。やがて一真が、大きな息を一つ吐いた。 「わかった。――俺も今後、父さんに従う」 夕子はぎょっとして一真を見上げた。話を終えた一真がケータイをポケットにしまう。 「話はついた。千石総理大臣の名のもとに、ビルは破壊される。――待たせたな」「あ、ありがとう一真さん、本当に……」 ようやく、朝美に繋がる。この燃え盛る東京の、どこかにいるであろう朝美に。 「でもお父さんに従うって……跡を継ぐってことですか? 政治家になれと?」「千石はそう思ってるだろうな」「私が無理なお願いしたから、逆にお父さんに弱みを握られたんじゃ……」「そういうわけじゃない。取り引きだって言ったろ?」「だって、お父さんと同じになりたくないってさっき……」「今は、少し考えが変わった。夕子のおかげだ。だから夕子が責任を感じる必要はない」「……私、何かしましたっけ?」「夕子は知らないだろうけど、俺の中でしっかりイベント発生してたんだよ」 まったく覚えがない。一真は清々しい顔をしているが……彼の人生を狂わせてしまったのではないだろうか。 戸惑っていると、一真の口端がかすかに上がった。夕子の頬を一真の両手が包み込む。そのまま引き寄せられて、夕子のおでこにゴツッと一真の鎖骨が当たった。 「さっきのお返しだ。俺は男だから『母性』じゃないけど」一真の手のぬくもりが、頭と背中に移った。「ここまでよく頑張ったな、夕子。もう大丈夫だ」 一真の声と息を、耳元に感じた。一真の言葉が、夕子を満たしていった。 「私は何もしてない……。何も頑張ってない。私より一真さんの方が取り引きまでして……」「何、結果的には俺の一人勝ちになるはずだから気にするな。――妹、取り戻すぞ」 返事もお礼も何も言えない。普段「お姉ちゃん」をしていた夕子が、子供のように嗚咽して、ただただ一真の胸で泣くしかできなかった。 そのとき、夕子のショルダーバッグの中で、ケータイがチャットの着信を告げた。 「朝美っ?」涙もそのままに、急いでバッグを開けて画面を操作する。「朝美から! あの子生きてた! 『葛西の臨海公園』……ここにいるのねっ?」 朝美が生きていた。もう足が崩れ落ちそうだった。本当はもうダメなんじゃないかと、心のどこかで思っていたから―― 間髪を容れずにまた着信。『充電ない』――一真と顔を見合わせる。 「葛西だな。東京にいるから迎えに行くって返事しとけ。充電ないんだから短くな」「はいっ」 もういろんな涙で景色も画面もよく見えなかった。   * 移動を始めてほどなく。千石総理大臣によるビル群破壊の決定が下された。 ヒートウォール外壁近くの各所で、大音量のアナウンスが鳴り響く。ビルを破壊するので、ただちに避難するようにと。まずは北側池袋方面から。続いて上野、東京駅がある東側を破壊する。 外気に触れないよう地下通路やビル内を移動し、できるだけ離れるようにと内側へ叫ばれる。外側へは、避難指示が広範囲に敷かれた。 夕子と一真はラジオからの情報に従って安全圏まで後退しつつ、朝美のいる葛西へと向かった。
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