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何か、あるの? 赤司さんの過去に何か――。
「クリスマスは、もっと笑わせてあげるから。約束忘れないでね」
ぐっと一歩を踏み出すように近づいた身体。決して触れ合っているわけでもないのに感じる体温。私の身体なんてすっぽり包み込んでしまう影。そして、鼓膜を震わせる低い囁き声――。 それは全部、目の前にいる人が『大人の男の人』なんだと私に知らしめる。
骨ばった手のひらが間近に見えて、また、頬に触れられる――。そう思って咄嗟に固く目を閉じる。 でも……何も触れて来ることはなかった。 恐る恐る瞼を開くと、手のひらをひらひらとさせて既に歩き出している背中が目に入る。 その瞬間に、どれだけ自分の心臓が激しく鼓動していたかに気付いた。
いつも、強引に心に入り込んで来たかと思えば勝手に去って。 その背中を、震える心のまま見つめていた。 赤く染まった落ち葉が風に乗って私の足元に届いた。 誰もいない中庭から立ち去ろうとしたとき、出店や出し物で賑わう校庭からこちらへと向かって来る女性に気付く。
それは、谷津心愛さんだった。 今の今まで感じていた胸の鼓動があっという間に引いて行く。 その目は誰かを探しているように、せわしなく動いていた。でも、その視線が私に向けられて止まった。
「あら、あなた、この前礼拝堂で……」
咄嗟に気付かないふりをしてしまおうとしたけれど、彼女が声を掛ける方が早かった。仕方なく私は会釈をした。
「赤司と二人っきりでいた子よね」
「ただ、掃除を手伝ってもらっていただけです!」
ウエーブがかった髪が揺れる。細い首と襟の立った白いシャツからのぞく鎖骨の窪み、綺麗に縁どられた唇――。そんなところばかりに目が行って、自分が酷く幼く感じられた。
「そんな風に一生懸命弁解しなくてもいいのよ。それにしても――」
谷津さんが、意味ありげな視線を私に寄こす。
「本当にそっくりね」
その言葉で、瞬時に蘇る声。
――俺が高校の時に好きだった子に似てるんだ。
谷津さんの鮮やかに艶めく唇が再び開く。 何も聞きたくないと心は叫んでいるのに、そこから一歩も動けない。
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