2.上司

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統括部から降格を言い渡されたのは、昨日のことだ。 勤務時間の改竄を密告され、労働局から指導が入ったせいだった。心当たりはある。 (どうせ、あの両親でしょ) 10日前、会社に来た部下の両親が浮かんだ。 「人格を否定されたり、覚えの無いミスを叱責され、責任を取らされたこともあったと娘から聞きましたが」 あてこするような母親の声と、それを隣で黙って聞いている父親。香典の礼も、娘の無断欠勤に謝罪も一言も無かった。 (そんなに会社のせいにしたいなら、遺書でも日記でも証拠を持って来なさいよ) 最近の若い子は使えない。少し厳しいことを言うと、すぐ親が職場まで乗り込んでくる。 私が入社したばかりの頃は、もっと厳しかった。 ミスをした時、怒号や恫喝で済めば運が良い。叩く蹴るは当たり前。料理人の機嫌が悪ければ、食器や火のついたタバコが飛んでくる。 上司のミスは部下のミス。残業代などもらった覚えがない。ハラスメントという発想の無い、封建的な時代だった。 同僚が次々と辞めて行く中、私は歯を食いしばって耐え続けて。やっとの思いで責任者まで昇りつめたのに。 (私が降格なら、あの頃の幹部や料理人たちはどうして許されるの!?) 奥歯をきつく噛みしめた。使えない部下に日和見の上層部、退職していった上司たち。その全てが憎らしい。 無意識のうちに、火傷の跡が消えない手首をさすっていた。 改札を通り、階段をのぼる。帰宅ラッシュの時間帯だったが、ホームは比較的空いていた。運良く、乗車位置の一番前に並ぶ。 自殺した部下のことを、ふと思い出す。陰気で要領が悪く、少し注意しただけで、すぐ押し黙ってしまう子だった。 自殺したと聞かされても、特に何の感慨も湧いてこない。 ホームにベルが響き渡る。そろそろ電車が来る頃だと、スマホを鞄にしまったその時。 ものすごい力で、後ろから背中を押された。 「あっ……」 思いもよらぬ衝撃に前のめり、たたらを踏む。靴が脱げたかと思えば、がくんと視界が上下した。 あわてて線路の上で体を起こした次の瞬間、ホームから私を見下ろす女と不意に目が合う。 それはひと月前に死んだはずの部下だった。
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