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黒川は出張先である、大手事務用品会社のショールーム兼売り場に顔を出した後、昼前には同じ駅に引き返してきた。
黒川はそこに事務用の家具を卸している会社の社員で、時折、他社の製品の視察や、売り場のチェックを兼ねて店を訪れていた。
出来れば自社製品を一番目立つところに置いて貰えるように、口添えをしたり、時には接客をして、自分の会社の商品に誘導したりする。
ある程度、人間関係も大事なので、店に顔を出しては店員と雑談なんかをして、二時間程度で会社に戻る。
駅までは徒歩で十分ほど。
ここは都心から新幹線で三十分程度で来れる、ベッドタウン。
二階建ての一軒家が多く、余りマンションなどは建って居ない。
黒川は同じように都心から広がるベッドタウンに暮らしているが、黒川の住んでいる場所の方がずっと、都会だと思う。
高層マンションが立ち並ぶ街は、二階建ての一軒家の方が豪華だと言える。
交通の便がここよりずっといいので、土地の値段が高い。
だから、高層マンション群が立ち並ぶし、人口もこことは比べ物にならないほど多いだろう。
駅までのんびりと歩きながら、長閑な空気に浸って行く。
悪くはないけど。
小さなパン屋から流れて来る香ばしい香りを嗅ぎながら、黒川は思う。
幼少期から都心で暮らしていたので、こういう場所に少々興味はあるけれど、住むことはできなそうだ。
腕時計をちらっとスーツをめくってみる。
新幹線の時間まで十五分ほど。
駅まであと五分くらいの距離に来ているから間に合うか。
自分の住んでいる場所からなら、会社の本社のある都心まで各駅停車の電車でも、かかって二十分なのに、ここは新幹線を使っても倍かかる。
距離が近い出張先ではあるし、店の人間とも仲良くできているので、嫌ではない。
けれど、この街に来るのは少し面倒くさい。
道端に勝手に生えているのであろう菜の花に、モンキチョウが舞って居る。
長閑なんだけどなと、目を細めてそれの行方を追いながら歩いて行く。
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