哲学的に

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この国で、ほとんど農場から出ずに14年過ごしてきて思うのは、生き方の違いはその人の考え方の違いだなぁということだ。 自分はこんな風に閉じこもったように生きてきて、結構機嫌よく生きている。なぜなんだろう。結婚して子供もあって、家族を築いている人が愚痴を言い、嘆いたりしている。全部持っているのにまだ不足なのか。 人の言葉をもう一度考え直してから、自分の意見を添えて発言するより、人から聞いたまま口にしていることが多いのではないだろうか。誰かが言ったことをそのまま言っていることにさえ気が付いていなかったりする。そして同じような言葉、同じような考えが幅を利かせる。テレビなんかで言っている意見が正論になってしまったりする。 そんなに暮らしが苦しいのだろうか。そんなに先行きが見えないのだろうか。相変わらず自分の暮らしを見つめなおそうともせず、他から与えられることばかりを期待しているからではないのだろうか。 私がブラジルに来た時は、日本の昭和の初めのような感じがした。馬に荷車を付けて買い物に行く人がいた。車を持っている人も少なかった。車はもちろん年代物。電話を持っている家も本当に少なかった。 それがあれよあれよという間に車が新しくなり、インターネットも使えるようになった。1954年生まれの私が、日本の経済の成長を見てきたよりも早い感じがした。だから今ここにいる人たちは子供を除いてほとんどが、暮らしが良くなってきたのを見ている。でも人は愚痴を言うもののようだ。 私は農場で暮らし、ミルクを取る仕事の手伝いをし、犬たち(今、8匹いる)の世話をし、絵を描いている。人々を見て何があれば幸せと感じるのだろうと考える。 そうして時間が過ぎてきた。これからもそんな時間が過ぎていくだろう。自分はブラジルに何をしに来たのだろうと思うことがある。そんなとき私は ”今ある暮らしを生きる” ことをしに来たんだろうな、と思う。 意味などなくていいと思う。ただ生きる、できれば前を向いて。一つ一つのことは自分が考え選んできたことなのだから。それを生きる、それでいいと。 元夫の彼は今も、毎日何度も出かけている。こういう人は何か満たされていないのかもしれないと思う。あるいは病気か。 何もなくてもこうして人間観察ができる。気分のすぐれないときは、歌を歌っている。大きな声で日本の歌を。楽しいことを探せる自分でよかった。
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