第1章:はじまりの瞬間(とき)

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 定期券と兼用のICカードを改札口にかざせば、ガシャンと機械音が響き、その先のゲートが開く。開かれた改札のゲートは、競走馬の出走ゲートにも似ていて、働く人を馬車馬と呼ぶ例えが妙にしっくりきてしまう。  獅子ヶ谷要(ししがやかなめ)も、後ろから迫る人の波に飲み込まれないよう足早にゲートを抜けた。電車から降りた人の波が改札に流れ込み、その流れは駅の出口へ続く。あまりの人の多さに正直参った。要の地元の九州では、高校は徒歩圏内で大学は寮にいたということもあり、定期どころか 電車に乗ることも少なかった。家の最寄駅から会社の最寄り駅まで乗り換えは多くても一度だけという立地条件を見つけたときは歓喜の声をあげたが、こんな通勤ラッシュのことまでは考えていなかった。 (これが毎日続くのか)  都会の社会人なら、初日に誰もが考えそうなことだ。  要がわざわざ上京してまで、この会社を決めたのは、四年生のときのインターン研修がきっかけだ。インターン先の会社は、兄獅子ヶ谷徹(ししがやとおる)の勤め先で、もちろん知っていて応募した。むしろ、それが理由だ。"兄を知る周囲に自分の存在を示し、そして弟の自分のほうが優れていると認めてもらいたい"  今、思えば陳腐な理由だったと思う。  幼い頃から兄を慕い、その思いをこじらせ過ぎた自覚は……ある。自分の兄を好きな気持ちが一方通行で、自分は血のつながりがある限り、応えてもらえないという心の葛藤が、兄に対する嫉妬や妬みに変わった。  高校三年のとき、そんな兄と血のつながりがないと知り、告白、そして玉砕。勢いよく放たれたはずなのに、行き先の失った鉛色の弾頭は、自分の中でぐるぐると彷徨い、体内に留まり続けた。  自分にとって兄は、愛すべき存在から憎むべき存在へ変わった。  そしてインターン研修で兄の恋人でもあり、所属部署の上司でもある浜村大輝(はまむらだいき)と出会い、ようやく兄への気持ちに決着をつけることができ、同時に、自分の器の小ささと社会という海の広さを知り、それを気づかせてくれた浜村の元で働きたいとなり、今に至る。
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