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引き返すのも癪にさわる。
別に、先の角で曲がればいいでしょ。
彼女はそのまま前進を続けた。
次にきた角を曲がる。
しかし、歩けど歩けど、自宅に通じる大通りに出ない。
いつの間にか、狭い路地に入り込んでしまった。
道の両側には、壁の剥がれ落ちた古い民家や、がらんとした廃工場、人が住んでいるのかどうかもよくわからない年季の入った集合住宅などがひしめき合って立っている。
いずれせよ、彼女にはまったく見覚えがないものばかりだった。
……迷った?
もう勘弁してよ。
彼女は腹を立てながらあたりを見回した。
いつの間に出ていたのか、月明りが、ひしめき合うように立つ建物群を薄紫色に照らし出している。
路上には誰もいない。
彼女は、まるで自分がどこか別の世界に迷い込んでしまったような錯覚を覚えた。
目の前には、ゆるくS字を描いて曲がりくねった道が伸びていて、先は見通せない。
しかし、このまま行ったとしても、おそらく、正しい道にはたどり着けない気がした。
戻るしかないか……。
彼女が踵を返そうとしたその時、曲がりくねった奥の道から、黒いコートを着た男がやってきた。
何気なくその顔を見て、彼女ははっと息をのんだ。
超びっくりなんだけど。
すごい、いけてんじゃん。
浅黒い肌に精悍な顔立ち。
年齢は二十代後半から三十代前半といったところだろうか。
鋭さを帯びた切れ長の目元には、危険と色気が混ざり合った香りが漂う。
一目で彼女の胸はドキドキと高鳴り始めた。
「あの……」
気が付いた時には、自分から男に声をかけていた。
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