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「仕方ないよね。現世で人生の苦楽を経験するよりも、冥途での代わり映えのない道を選ぶのは」
店主がさして感慨のない声で言うと、つと視線を若い女に移した。
「わたしは」若い女が思い余った表情で告げる。「同棲していた彼と旅行の途中、脇見運転の車に轢かれて死にました」
「ここは天寿を全うせず不慮の死を迎えた魂が訪れる食堂さ。幸福の真只中で死ぬのも、あるいは幸せなのかもね」
店主がカウンターを拭きながらつぶやく。
「たとえ記憶があるまま生まれ変わっても、もう彼との生活は望めません。
せめて最期にもう一度、同棲して最初に彼がつくってくれたオムレツが食べたいです」
「あいよ」店主が応じる。
不器用な手つきでフライパンに火を掛け、カツカツと不細工なオムレツをつくった。
「めいどあり!」
若い女が皿を手にとると、ケチャップの掛かったオムレツを一口頬ばった。
「本当だ、卵のカラが入っている彼のオムレツだ。ベチャッとして不味いけど、でも温かくて美味しい」
幸せそうな笑顔を残して、若い女の魂が消えた。
「あの人は、現世でまた彼に逢えるのでしょうか?」
「さあね。そーいうことに興味ないから」
店主が皿を洗いながらぶっきらぼうに答える。
パチパチと蛍光灯が明滅する音。
コトコトと大鍋がたてる音。
食堂にまた沈黙が流れた。
店主は黙して語らず。
残るは僕ひとりだ。
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