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「……迷っています。僕には生前の記憶がありません。どうして死んだのか、どうやって冥途に来たのか憶えていないのです」
「あるよね、そーいうの。安心しな。お客さんの知識はおれが与えたものだから」
ゆっくり注文を考えればいい、と店主が促した。
(極上の美味……この上ないものかな)
つらつらと考えていると、はたと頭に浮かんだ。
「僕は料理というものを知りませんが、それでも注文したいものがあります。それはーー」
注文を口にすると、店主が声をはずませる。
「しばしお待ちを!」
店主が応じた瞬間──僕の視界が暗転した。
再び目にしたのは薄暗い食堂ではなく、とても明るい部屋であった。
僕の視力はまだぼやけて、そこが病院だと気づくまで時間が必要だった。
思うように首が回らず、もがこうにも手足が自由に動かせない。
(ここは……どこだろう?)
誰かに聞こうと口を開いた。
すると口内いっぱいに、しょっぱい味が広がった。
「わたしの赤ちゃん、はじめまして」
見知らぬ女性がそこにいた。
僕の口内を満たしたのは、この女性が流した嬉し涙であった。
(嗚呼、僕はこうして祝福され生まれてきたかったんだ)
生前の記憶が甦る。僕は生まれることなく流れた胎児だったのだ。
母親の無上の愛を味わいたかったんだ。
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