小さな手紙

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遠くから救急車のサイレンが聞こえた。 段々近づいたかと思うと、急にサイレンの音は歪み、また遠くへと消えていく。 その音は、何故かいつも取り残されたような不安な気持ちにさせる。 ほとんどの住人が寝静まったアパートの階段を、コンビニの弁当が入った袋がならないように注意して自分の部屋へと向かう。 鍵を取り出す音、シリンダーを回す音、扉を開く音。 ビニールの音を注意していても、解錠するその全てが闇夜に大きく響く。 小さな玄関で革靴を脱ぐと、綺麗に揃えられていた妻のパンプスに足が当たってコトリと倒れた。 ーーいつからだろう。 『ただいま』と、言わなくなったのは。 ……『おかえり』と、言われなくなったのは。 ため息と共に玄関に腰を下ろし、妻のパンプスを元どおりに揃え直す。彼女がこんな靴を持っているのを知らなかった。 共働きでお互い仕事が忙しく、いつの間にか夫婦の時間が減っていた。 食事も各自勝手に食べている。 はじめの頃は、帰宅が遅くても食卓に夕飯が準備されていて、『おかえりなさい』と妻が待っていた。
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