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これまでの海外出張へは、マリエさんが同行していた。だから彼女の方が、私よりも海外支社についてのことは詳しい。
それに、元々の秘書としてのマリエさんと私のスキルの差は、月とスッポンだ。
……あれ?
月とスッポンって言葉、前も誰かと比較するのに使われていたような。
この自分のスッポン率の高さは、もはや御家芸と言っても過言ではないのかもしれない。
とにかく、そのことを専務に訴えかけて何とか海外出張から外してもらおうと試みた。
それなのに、だ。
「お前のスキルの無さは、今更言われなくても分かりきっていることだ。残念だったな。今回は、ニックたっての希望だ。お前にもう一度向こうで会いたいそうだ。お前がどんなに泣きつこうが覆りはしない」
だだっ広いデスクを挟んで対峙する、どう見てもいじめっ子といじめられっ子にしか見えないこの図。
もしくは、判決理由を述べている裁判官と、判決を受けた被告人という関係図にも見えなくもないかもしれない。
目の前で、私が持ってきた珈琲カップに専務が口をつける。
「うちの会社にとって、とても重要なCEOたっての希望だ。だからと言ってくれぐれも調子に乗るなよ。行くまでに、そこそこ秘書としてやれるように勉強しておけ。もしも、向こうで俺の秘書が全く務まらないなんて事態になったら、お前には別枠の仕事をさせてやるからな。そのつもりで覚悟しておけよ?」
別枠の仕事という言葉に、とてつもなく不安が過った。
何故なら、私を見つめる専務の瞳が、まるで獰猛な肉食動物のように妖しく光っていたからだ。
いや……人の心を弄ぶのが大好きな悪魔なんじゃないだろうか、この人は。
「……善処します」
こうして、自分の秘書としての駄目さ加減を全面に打ち出しての海外出張拒否請求は、瞬く間に棄却された訳だ。
このやり取りの手前に、私は長期休暇をとり、田舎の実家へと帰っていた。
携帯電話を忘れたまま。
東京の自分が住んでいるマンションへ帰ってから携帯電話を開き、羅列した着信履歴の山を見た時は愕然としたものだ。
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