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「その本、気に入りましたか?」 間近から聞こえた声に、肩がびくりと跳ねた。 振り返れば、すぐそばに表情のない男が立っていた。 「その本は、あなたとよく似た人が持ってきた。あなたと合うのかもしれない」 僕は、手に持ったままの本を見た。革張りの装丁の、どこの文字とも分からない言語で綴られた、読めもしない本。 けれど、やはり胸の奥がざわりとうごめく。 「あなたは、本を売りに来られたわけではないので、ゆっくりしてい・・・」 男の妙な言い回しと途中で途切れた言葉にひっかかり、本から男に視線を移した。 表情のない男が、目を見開いて驚いた顔をしていた。 「少し出てきます。どうそ、ゆっくりしていってください」 男は、心ここにあらずといった様子でそう言うと、からり、と引き戸を開けた。 一歩踏み出し、身体を光と闇に分断されながら、男は振り返りもせず、さらにこう言った。 「戻って来なかったら、すみません」 その言葉の意味を問いただす間もなく、男はふらふらと店外に出ていく。 それを目で追った僕は、今日三度目の、まぎれもない恐怖を味わった。 そこは、見知らぬ街だった。 そこは、僕が古本屋を見つけたあの寂れた商店街とは似ても似つかぬ、活気のある、にぎやかな商店街だった。 アーケードがある。 多くの人通りがある。 道幅も広い。 そして、どの店にも、すぐには読めない、右から左に向かって書かれた看板が掛かけられていた。 ここは、どこだ。 肘を本棚にぶつけた痛みで我にかえり、尻もちをついている自分に気が付いた。 頭の中が、真っ白だ。 母の古いアルバムで見たような格好の人々が、店の前を歩いていくのを眺めながら、やはり光はレールよりこちら側へは、入ってこないことに気が付いた。 そのことが、今度は僕を安堵させた。 僕は、立ち上がり、引き戸をそろりと閉めた。 道行く人々で、こちらをちらりとでも見る人はいなかった。 店頭で腰を抜かしてへたり込んでいた僕を気にする人もいなかった。 人々に、この店は見えているのだろうか。 この僕自身、毎日通る場所で、今日初めてこの店に気が付いたのだ。 おかしな話ではないか。
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