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お米には八十八の神が宿っている、と人間の言い伝えで聞いたことがあった。
一方、人間は神や仏を信仰し、それらを自然現象や豊作の所作としているらしい。
しかし、人間とは神や仏から生まれた神を宿す穀物をぞんざいな扱いをするんだな、とぼくは思った。
今、ぼくの目の前にその光景が映っている。
焚き火を囲った小石の上に、かつてこの島に住んでいたと思われる人間が使っていただろう古釜を、蓋を閉めて置いてある。
その中に適量の湧き水と、人間が八十八の神を宿すと信じて疑わない穀物である米が入っているのだ。
最初は何の変化も無かったけど、しばらく経つと蓋の隙間から白い煙が出てきて、今は蓋が踊りながら泡を吹いている。
泡とともに鍋から垂れる熱湯が色が色ならなら地獄絵図で、見ていられない。
そして神々が宿ると人間が伝承している米を、熱湯と業火で熱された鍋との板挟みなんて、神というものを信じない鬼の立場から見ても正気の沙汰ではない。
父上と母上を自らの手で焼き討ちにするような感覚なので、純粋に気持ちが悪かった。
この行為のことを、海水で釜の下の火を消す人間が「米を炊く」と言っていたが、一体、どういう心境でこの光景を見ているのだろうか。
人間は火が消えたことを確認すると、蓋を開ける。
すると、蓋の隙間から漏れていた煙が一斉に湧き上がってきた。
不覚にも良い匂いだと思ってしまった。食欲が唆られるような、少し甘みのある匂い。
人間の島から取ってきた今までの米からは想像のつかない匂いだ。
やがて煙は無くなり、鍋の中の全貌が見えてきた。
ぼくは予想する。
おそらく中にあった米は灰となって消えているに違いない。人間は湧き出る煙を吸い込むことで、神々の恩恵を得ているという教えに準じており、「米を炊く」という行為は、信仰のための儀式なのだ。
ぼくはまだ幼いが、これくらいの予想は容易い。
これくらい頭が良くなくては鬼として人間と戦って家族を守ることなんて出来ない。
父上がこの人間を懲らしめたように、ぼくも早く大きくなって家族を守るんだ。
ぼくは洞窟の外で見張りをしている父上にそう誓い、煙が大分薄くなった鍋の中を覗いた。
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