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さっきまでの夕凪の琥珀は、上空から迫る濃紫の階層に押し沈められようとしていた。海面から吹き上げる潮風が、風向きを忙しなく変える。
ポケットを探ると、クシャクシャになった紙巻き煙草があった。一本取り出して、フィルター側を底にして手の甲にトントンと打ち付ける。先端の葉が整ってきたところで咥えて、ライターを探す。
「やめときなさいよ。呼吸器感染症だって言ったでしょう」
波、風、カモメの声しかしないと思っていたのに。予想外に近くから声を掛けられて、思わず煙草が口から離れた。
「日本人って頭良い人逹だって思ってたけど。そうでもないみたいね」
「……看護師って、貴方のことですか」
「ええ、そうよ」
「ガブリエラ?」
鳶色の大きな瞳を僅かに見開いてから、作り笑いを浮かべる彼女。これまではマスクをしていて気付かなかったが、存外に若い。白人女性の年齢はよくわからないが、私よりも年下なのかも知れない。
「そうよ、私の名前はガブリエラ。初めまして、日本人さん」
「パスポート、見た?」
「ええ。でも、貴方の名前は覚えられなかったわ。何て読むの、アレ?」
眼前に示された彼女の二本の指に暫時躊躇ってから、煙草を一本差し挟む。勢い良く吐き出しされた白煙は潮風に捕らわれて、瞬時に上空へと吹き上げられていく。
「まぁ、いいわ。治ったらさっさと出て行って」
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