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「ああ、申し遅れました。私の名は『破喰』。所謂妖怪みたいなものです」
「ばく……? あ、あの夢を喰うやつか」
上擦る男の声に、破喰はうっとりと恍惚の笑みを零す。
「ふふ、いやだなぁ、違いますよ。『バク』ではなく『バクロ』です。確かに私は悪夢をも喰らいますが、それは食料と成り得る輩を探す為の情報源でしかない。こう見えても肉食系なんですよ、私は。夢なんかで腹は満たされませんから」
美しい切れ長の目が三日月に細められ、形のいい唇がちろりと舌なめずりをした。
それはまるで、獲物を前にした爬虫類の仕草だ。
そんな馬鹿なと、男は混乱に陥った。
今起こっているこの光景こそが悪夢ではないのか。
そうだ、自分はいま夢の中にいるのだ。
この悪夢から早く目覚めなければと、男は目の前の非現実に向かって必死に命乞いをし出した。
「な、なあ! 考え直さないか? 俺みたいな野郎より、さっきのガキの方がよっぽど旨そうだろうが!」
「いいえ、とんでもない。あの子の白く綺麗な腑を食べてもお腹を壊してしまうだけです。あなたのドス黒い腑の方が何倍も美味しいに決まっていますよ」
「う、嘘だろ……おい、ちょっと! お、俺が悪かった! だから誰かっ……誰か助けてくれえ!」
そんな男の醜態を見て、破喰は「はあ」と深い溜息をついた。
「連続猟奇殺人犯ともあろうあなたが、全く以て見苦しい。今までそんな風に命乞いする人を、一体何人手に掛けてきたのですか? まあ、ここは空間を切り離してありますから、どんなに叫んだ所で外には聞こえませんけれども」
のほほんとそう言って、男の首をがしりと鷲掴みにすると、その姿に似つかわしくない怪力で男の体を軽々と持ち上げた。
男は声にならない声を出して苦しそうにバタバタともがくが、破喰のその腕はびくともしない。
破喰は涼しい顔でにこりと男に微笑みかけた。
「ちょっとお喋りが過ぎましたね。まあ、冥途の土産だと思って下さい」
ひゅるん!
そんな風を切る音がして、破喰から伸びた大きな影が「ばくん」と男を一飲みにした。
「おお旨い、何という極上の味でしょう。あなたは本当に腹黒いのですねぇ」
破喰の本体である真っ黒い影が、嬉々としてそうごちる。
そのクリオネにも似た食事風景は、見た者全てが卒倒する事間違いなしの醜悪さだった。
暫くうねうねと波打っていた黒い影から、ズルリと男は無言の帰還を果たした。
「ご馳走さま。さて、また新しい獲物を探さないといけませんね。ふふふ、次の食事が楽しみだ」
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