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「模擬戦の時、恵流は陽と私がニアミスしないように手を回してくれてたんだよ」
あの日、恵流は確かに話せない事情を押し黙って自分勝手のように振る舞って陽の合流を待っていた。
「平気な顔して私が嫌いな嫌われ者になりながら、私が自然に離脱できる状況を用意してくれた」
最後に菖蒲は恵流の苦労を不意にしたが、だからと言って感謝までも捨てたわけじゃない。
「そうですねー、それは否定しませんよー。だって、恵流先輩の立場で考えれば、菖蒲先輩の秘密を自分以外の誰かに知られる事は避けたいですからね」
陽も連日の恵流の不可解な行動には『菖蒲の性別』という情報によって陽なりの見解を得ていた。そしてそれは恐らく菖蒲よりも陽の解答の方が恵流の意図に近い。
「ああ、うん」
菖蒲が呟く。そうして、遅ればせながら恵流を理解する。
恵流は決して理解されない事を、理解する。
恵流は悪者で嫌われ者だから。そう呼ばれるだけの事を積み重ねてきたから。
恵流に優しさを見出だせるのは甘やかされてきたと感じている自分だけだ。
ここで菖蒲が幾ら反論を並べたって、万人にとっての恵流は一貫して最弱の性悪でしかないのだ。
「もし――」
それは菖蒲が一番よく知っている。だって、この学園で最も恵流と時間を共にしてきたのは他でもない菖蒲だ。
「陽の言う通り、恵流にとって私の秘密を自分以外の人間が知ってしまうのが意に反する事だったら」
けれど、言わずにはいられない。問いかけられずにはいられない。
「どうして恵流は私に命令をしなかったんだろうね」
もしそれが思いやりではなかったと言うならば、その正体を教えて欲しいのだと。
陽はわざとらしく小首を傾げてさして考えるでもなく答える。
「気まぐれじゃないですかー?」
「気まぐれにだって理由が必要だよ」
他がどうかは解らないけれど、少なくとも恵流という人間には。
◇ ◇ ◇
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