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変わろうと思った瞬間から人は変わると言うが、数年の蓄積が、本質に等しいまでに身についてしまった悪癖が、僅か数日で劇的に改善される事はない。
他者には変わったように見えたとしても、それは本人が意志の力を総動員して根の深い自我に抗っているだけだ。
自分に対する下克上は他人を相手にするよりも遥かにエネルギーを必要とする。
心身を蝕む倦怠感。菖蒲は、自分でも無自覚のうちに積もり積もった心労に参っていた。
恵流に頼れない。離れてみて余計に恵流の有り難みを知る。それに毅然と振舞っていたが、陽に秘密を知られた事実は菖蒲の胸に暗い影を落としていた。
弱い菖蒲が断崖絶壁に立たされて平気な訳がなかったのだ。
「全然眠れなかった……」
定刻を伝える端末が振動するのとほぼ同時に菖蒲はベッドから身体を起こして、洗面所で顔を洗う。
「うわ、ひどい顔だ」
鏡に映った目の下に浮かんでいる隈を見て、何処か他人事のような感想を漏らす。
「大丈夫。頑張れる! 今までサボってたんだから、少しくらいは無理しなきゃ」
頬をパチパチと叩いて気合を注入。自分の手に驚いて反射的に瞑っていた両目を全開にして自室を後にする。
二回戦が終わってから寮の自室に直帰して気休め程度に横になった。しかし悪化しているような気さえする身体を引き摺って、大掃討戦の運営から割り当てられたポッドに向かう。
寮を出る頃にはぼうっとしていた。大きな瞳は半分ほどが瞼に隠されて、その足取りは亀のように重い。
今の菖蒲は一つの目的の為だけに動いている亡者のようだ。それでも決勝戦が始まる前には調子を万全にするつもりでいた。
――多くの天性に恵まれた鶴来菖蒲という人間は、その代償とも言うべきかどうにも巡り合わせが悪い。
「あ、鶴来君! 急で悪いけどちょっと私に着いてきてくれる?」
見覚えのない小奇麗な女生徒が菖蒲の腕に絡みつくように身体を押し付けて進路を強引に変更する。
「あ、え? 俺、これから決勝戦が――」
「その事で霧羽さんから内密に話があるんだって!」
こんにちは。ご無沙汰しておりました、悪意です。
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