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これだけの人数がいれば、いわゆる二人の世界を切り拓く猛者の一人くらいはいるものだ。
「あ、あのぅ、お二人さん?」
その声に両名が思い出したように外部に目を向ける。そこには好奇心とほんのりの憎悪の入り混じった視線があった。
まざまざと一部始終を見せつけられる形となった観衆の一人であった女子生徒がおずおずと律儀に片手をあげて訊ねる。
「皆を代表して聞きたいんだけども……お二人は、そのぅ。恋人同士なの?」
こんな"格好"をしていてもノーマルな恋愛観を持っている菖蒲だが、それを知らない第三者が勘違いしても仕方がない。
今し方の菖蒲の行動は、傍目にすれば何処からどう見ても愛する者同士の再会の場面だ。
「えっ、いや、ち、ちっ、違うけど?」
どもる菖蒲。それが疑惑を加速させる。
対人に極度の苦手意識を持つ菖蒲が自身の置かれている状況に気が付いてしまった事が原因だが、やはり菖蒲の抱える欠陥に理解のない第三者が怪訝に感じても不思議ではない。
ついでに言えば、この場所に身体を持ってきたのは他ならぬ菖蒲自身だ。何処まで行っても自業自得だった。
「鶴来君が告白を断り続けてきたのって、森泉さんと付き合ってたからかぁ」
「ちきしょー! 俺の恋は始まる前から終わってたってかー!」
「でも二人とも"美男美女"でお似合いだよね。馴れ初めとか聞いてもいい?」
二人の交際を裏付けする要素を並べたりと口々に好き放題な事を宣うクラスメート達に至近距離で囲まれて、菖蒲は逃げ出す事も出来ずにあわあわと混乱しきりだ。
「わたくしにとって鶴来君は大切なお友達です」
そんな菖蒲に助け船を出したのは誰あろうイリスだった。菖蒲の秘密も問題も、ここではない世界で聞いている。
「そうは言うけど、ねぇ?」
渦中にいるイリスの言葉も当然のように疑われるが、片手を胸に当ててニッコリと微笑むだけで観衆は黙った。ごみごみした人の群れの中から「天使だ」という呟きが漏れる。
「わたくしには心に決めた方がおりますので」
「そ、そっか。転校してくる前の場所に恋人がいるんだ?」
「いいえ。恋人ではありませんけれど、その御方ならこの場に」
「え? えっと……それは鶴来君じゃなくて?」
イリスは極上の笑顔のまま相手を告げる。
「平野恵流様です。わたくしは、恵流様に身も心も捧げる約束を交わしております」
その発表に、驚愕の声が校舎を揺らした。
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