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恵流の知るイリス=エル=フラグナという人物は恵流の現実に生きる森泉イリスが演じた空想に尽きるのか、あるいは単なる他人の空似なのか、それとも。
「この森泉の姓は諸般の手続きにあたってがくえんちょうの龍鳳院様から戴いた仮称です」
イリスは懐疑的な恵流の眼差しを真正面から受け止めながら、柔らかな表情で続ける。
「わたくしは恵流様達の仰る偽物の世界に生を受けて、恵流様達に数多の願いを救って頂き、この心と体を捧げる約束を果たす為に再会を希った――イリス=エル=フラグナです」
森泉イリスが王女の演者であったなら、王女の記憶を保持している状況は至極自然な事だろう。
そうであって欲しかった。イリスの述懐は有り得ない。それはあり得てはならないのだと、恵流のほつれた思考はより複雑に絡まってしまう。
物語の中から人が出てくる? それはまさに魔法の産物だ。視覚情報の書き換えだけなら、学園のVR設備を用いれば再現は容易いだろうが。
菖蒲は確かに触れていた。違和感もなく。境界が失われた事を嫌でも認識に刻み込むように、イリスはこの現実に承認されたのだ。
「恐らく、わたくしは恵流様の知りたい情報を与えられておりませんけれど、龍鳳院様から一つだけ確かな事を窺っております」
知らず、恵流は無意識の海を揺蕩っていた。
「恵流様は違います」
落ち着いたイリスの声が恵流をそっと呼び起こす。
「恵流様は正真正銘、この世界に生きる人間です」
きっとそれは、恵流がいま最も欲していた言葉だった。
◇ ◇ ◇
無言で立ち去る恵流の背中をイリスは微笑を浮かべて見送る。
「イリスさ――イリス」
「ふふ、わたくしを呼び捨てにする事にはまだ慣れませんか?」
「う、うん。自分で提案しておいて何だけど、少し躊躇いがあるみたいだ」
菖蒲はたははと苦笑しながらイリスの表情をつぶさに観察する。一見すると完璧な笑顔だ。けれど、なんとなく、菖蒲には弱弱しく見えた。
「やっぱり気になる? のえるの態度……」
「そう、ですね。気にならないと言えば、大きな嘘になるでしょうね」
「のえるが自分勝手なのはいつもの事だけど、今回のは少し毛色が違ってた気がする」
具体的な内容は何一つ思い浮かばないが、恵流が何処か急いでいるような印象を受けた。
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