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その喫茶店は、とある地方都市の寂れた裏路地にひっそりとあった。
じっとりと湿ったビルとビルの隙間。その薄暗い闇の中に伸びる急勾配の階段。ゆっくりと上がっていくと、看板には青いコーヒーのマークと、『冥土喫茶』と書かれた小さな手書きの文字が見えた。
その日は、たまたま私はビルの一階にある時計屋に愛用の腕時計の修理に訪れていたのだが、その帰り道、奇妙な店名とコーヒーの香りに惹かれ、半ば無意識に階段を上がり、気が付いた時にはその店のドアを押していたのである。
ひび割れたすりガラスのドアを押す。カラン、コロンと軽やかなベルの音が出迎えた。
「おかえりなさいませ、御主人さま」
そう言って頭を下げたのは膝丈の質素な服のメイドだった。年のころ二十代前半ろうか? 田舎には不釣り合いな、陶器人形のように整った顔。
あまり肌を露出しない、クラシカルな濃紺のメイド服をきっちりと着こなした彼女。黒く細い前髪が血の気の無い頬に影を落とすのを、私はじっと見つめたのだった。
慣れないメイド喫茶に落ち着かない気分の私を、メイドは奥のソファー席へ案内してくれた。
見ると、隣の席にも客がいた。体格の良い中年の男。あまりメイド喫茶に出入りするようなタイプには見えない。
男は机に突っ伏して寝ている。こんな落ち着かない店でよく寝れるものだ。そう私が思っていると
「おかえりなさいませ、御主人さま!」
メイドが男に声をかけた。
すると男がヨダレをたらしながら目を覚ました。ガタン、と机に膝をぶつける音が静かな店内に響く。
「ただいま」
男はすっきりした顔で返事をした。
やれやれ、こんなところで寝るなんて周りに迷惑だろう。そう思い辺りを見回すと、その男だけでなく、数人いたすべての客がテーブルに突っ伏して寝ている。
メイド喫茶で寝るだって? 私は不思議に思った。皆よっぽど疲れが溜まってでもいるのだろうか。
しばらく見ていると、メイドは他の客にも「おかえりなさいませ」と声をかけている。そのたびに、客がハッと目を覚ます。一体何なのだ? この店は!
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