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寒風が身を刺す、ある夜のことだった。もはや定位置となった『バー・空』のカウンターで、私は穴を通る空気の冷たさに顔をしかめながら、痛みをなんとか紛らわそうと焼酎をあおっていた。この寒さのせいか、それとも時間が遅いからなのか、いつになく店内は客がまばらで、ひっそりと物思いにふけりながら酔うには最高だった。
コロンコロンとベルが鳴って振り返ると、ほんの小さく開いたドアをくぐって、彼女が現れた。ぶかぶかの黒コートに全身を包み、美しい装飾が施された大きな鳥かごを持っている。ひどく疲れた様子だった。
「遅くなってごめんなさい」
打ちひしがれた様子の外見とは裏腹に、彼女の声はここ数日なかったほど、元気よく朗々と響いた。あれと思っていると、彼女はそのままステージに上がり、皆の前でおもむろに上着を脱ぎ棄てた。現れたのは、胸元が大きく開いたステージ衣装だ。
「仕事が長引いてしまって。お待たせしてしまった皆さま、本当に申し訳ありません」
私は目を疑った。彼女の声ではきはきと言ったのは、彼女ではなかった。彼女の穴の中から顔を出す、一羽の小夜啼鳥だった。
いや、本物の小夜啼鳥ではない。よく見るとそれは、機械仕掛けの精巧な作りものだった。小首を傾げ、つぶらな瞳をきょろきょろと動かしながら、彼女の代わりにおしゃべりを続けている。
「失礼して、これは外してしまいますね」
彼女は慣れた手つきで穴に手を入れると、小夜啼鳥を外に引き出した。ネジを外し、持ってきた華奢な鳥かごに移し替える。小夜啼鳥は実に居心地よさそうにそこに収まって、嗚呼あれは彼女の肋骨と同じ形なのだろうと、意識の裏側でそんなことを思った。
「……地声で歌うのは久しぶりです。ちょっとお聞き苦しいかもしれませんが、どうぞ最後まで。では一曲目」
口から出た彼女の声はぎょっとするほど力がなく、かすれていた。よく耳を澄まさないと聞こえないくらいだ。彼女の声を何とか拾おうと、マイクスタンドには五つもマイクが束ねられていた。皆身動き一つせず、彼女の吐息に集中している。
「“泣かないで小夜啼鳥”」
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