ホ・ラ

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ホ・ラ

 その奇妙な店は、看板らしい看板一つ出さず、繁華街をほんの道一本外れた薄暗い路地裏に一軒、ぽつんと立っていた。  他の店々から離れ、自分が何ものかも告げずにたたずむその姿は、無言で窓辺に腰かけ、自分のことを理解してくれる者だけを待つ少女のようだった。私のことわかってくれるなら入っていらっしゃい。けれど、後で話が違うって怒ったって知らないから。そう言ってツンとすましている。玄関のすぐ足元に『バー・空』と書かれた立て札がなかったら、飲食店と気づけなかったに違いない。  私がその店を見つけたのは、おりしもけぶるような冷たい霧雨が降っている夜だった。輪郭のぼやけた温かそうな光をまとったその店は、疲弊し凍えきった私が羽を休めに来るのを待っているように見えた。「あなたなら別にいいわよ」扉につけられた猫型のプレートがそう言ったように錯覚したのは、その店に入る口実を、私がなんとかして見つけ出そうとしていたからかもしれない。  一瞬ためらった後で、私は扉の取っ手を握った。カランカラン。扉につけられた鳥の形の鈴が左右に揺れる。カウンターの向こうで、店主らしき男が無言で腰を折った。  静かで小さな店だった。棚には酒瓶が並び、壁にはメニューを書きつけた黒板がかけられている。引き寄せられるように、私はカウンター席の一つに腰を落ちつけた。 「ビール。あと、何かおすすめのつまみはあるかい」  店主は黙ってフライパンを持ち上げてみせた。頃合いに焼けたソーセージが湯気をたてている。思わずごくり、と喉が鳴った。
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