死立て屋さんから飛び立って

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「なにか我慢してることはないの」  僕は彼女に聞いた。  存分に恋愛をしたいという欲求を抑圧するために、死立てという反対の道に突進しているというのは充分に考えられる。 「日向和田さんが冒険に付き合ってくれないことですかね」  彼女は少し考えてから言った。  いつの間にか僕の呼び方が日向和田さんになっている。  欲求の抑圧を自覚するところまでは達していないが、冒険という別の目的に異性をまぎれこませる程度の欲求の発露はあるらしい。 「それと、日向和田さんのせいで楽しみにしてたディナーが遅くなっちゃったことです」  エリスは腕組みをして言った。  生きている側の人間としてはるか高みにいた彼女が、いつの間にか同じ高さの地面におりて来たような気がした。 「死立ての当日は四時起きなので、明日は早めに寝てください。今日はそこのソファーで寝るといいと思います。お風呂やわたしの部屋に近づいたらお魚にするので、警報が鳴ったときは助からないと思ってください。お茶とあんぱんがデスクの一番下の引き出しに入ってますので、夕飯にしてください。あんぱんには牛乳だとか言ってもダメですよ」  早口でまくしたてられて、僕は混乱してしまった。  どうして死立ての日は四時起きなのだろう。  疑問がはっきりと顔に出ていたらしく、エリスはすぐに口を開いた。 「だって、日向和田さん、わたしの欲求を探るためにさっきの質問をしたんでしょう。それで九十九山の話が出てきたんですから、手を伸ばした側の人間としては、ちゃんとその手をにぎってあげなくちゃだめです。わたしをカウンセリングしようとしても無駄ですよ。お師匠さまにみっちり死ごかれましたから」  そう言ってパンフレットとアルバムを引き出しにしまいこむと、おやすみなさいを残してエリスは部屋を出て行ってしまった。  外側から鍵のかかる音がする。  内側には鍵穴がない。  窓際のもうひとつの扉にも鍵がかかっており、こちら側からは開けられないようになっているらしかった。  窓には警報装置がついているのだろう。  敵わないと思った。  デスクライトだけが光を放つ骨格の部屋で、僕は長い時間をかけてあんぱんをほお張った。  明日は事前面談のあとに最後の食事を取り、明後日は冒険と死立てが待っている。  なにかが引っかかった。
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