「ある日の職員室」 by くろきん

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 九月一日というのは、空気の色が違う。  夏休みの補習授業の気怠さが一掃され、ざわざわした活気が学校全体を覆っている。その中に潜む、青みがかった緊張感──。  新しい学期が始まった日の、このぴんと張りつめた空気が好きだ。  黒木瑤子は、職員室の右奥にある自席で、パソコンの画面から目を上げ、背筋を伸ばした。  始業式が終わり放課後になっても、職員室には、生徒たちがひっきりなしに出入りして、教科について質問したり、部活の顧問と打ち合わせをしたりしている。  二学期に入って、三年生はいよいよ本格的な受験態勢に入るし、二年生は部活の主役を引き継ぐことになる。どちらの表情も、さすがに引き締まって見える。  でも、何にでも例外というものはある。 「だって、分かんないんだもん──」  拗ねるような甘い声が聞こえて、瑤子は、向かいの席に目を遣った。  そこでは、三年の小南麻帆が、国語科の二ノ宮先生の上にかがみこむようにして、持参した問題集を広げていた。  実は、瑤子は、青島の件で職員室に密告電話をかけてきたのは、この小南じゃないかと疑っているのだが、証拠はない。  小南の長い髪が、二ノ宮先生の手元に落ちている。そして、なぜか制服のリボンが外されている。座っている二ノ宮先生の目の高さを意識してのことに違いない。    学習に対する意欲よりも、もっと別の動機があるのがありありで、ため息が出そうになった。  若さというのか何なのか、こんなあからさまな迫り方ができるのは、ある意味すごい。そして、二ノ宮先生が、まったく状況に動じずに、淡々と動詞の下二段活用について解説しているのが、さらにすごい。  二ノ宮先生は、もともとほわんとしたところがあるし、もしかすると気づいていないだけかもしれない。もしくは、意外にドライなところもあるようだから、気づいていて知らん顔をしている可能性もある。  どっちにしても、ここまで完全にスルーできるのは、さすがとしか言いようがない。  比べること自体かわいそうな気もするが、例えば、これが佐古田だったら、とてもこうはいかないだろう。
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