10人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
喫茶店、“take shelter”
その奇妙な店は、街の一角にいつの間にかあった。いつからここにあったのか分からないけれど、よく通るはずのこの道の傍らに、喫茶店があったなんて私は少しも気が付かなかった。
“take shelter”
看板にはそう書いてある。どういう意味だろう、そんな疑問を抱きながら扉を開けて中を覗き込んだ。
「いらっしゃいませ」
静かで品のある笑顔を携えて、若い男性が一人カウンターの中に立っていた。
「あの、一人なんですけど」
それだけ言って店内を見回すと、客はどうやら私一人だけのようだった。
「お好きな席にどうぞ」
店員の男性にそう促されて、私は少しだけ戸惑いながらカウンター席に腰を下ろした。一人になりたくて喫茶店に入ったはずだったのだが、誰かと話したい気分でもあった。
なにを頼もうかと辺りを見回すと、あることに気が付く。
「あの、メニューってどこにありますか?」
そう。どこを見ても、それらしきものがない。
「あ、ごめんね。うち、メニュー表を置いていないんです。なにか好きなものを言っていただければ、ご用意できるかと思いますよ」
優しそうな笑顔で彼はそう言った。私は思わず首を傾げてしまった。
「メニューがないって、置いてないものを頼まれたらどうするんですか?」
「んー、今まで置いていないものを頼まれたことはないので、大丈夫ですよ」
安心させるような自信を滲ませる声色に、どこか妙な気分になる。
「…そうですか。それなら、レディ・グレイってありますか?」
思い付いたのは、昔から私が好きな紅茶の名前だった。
「はい、ご用意しますね。ホットとアイス、どちらがよろしいですか?」
「…ホットで」
「かしこまりました」
迷わず注文を受ける態度に少し驚きながらそれだけ交わすと、彼はすぐにお湯を沸かし始めたようだった。
手際よく茶葉を取り出して、カップを用意する手付きをつい眺める。なぜメニューを置かないんだろう、そんな疑問が当然のように湧いたところだった。
「不思議なお店、ですか?」
静寂を破るように彼が口を開いた。
「え?」
心を読まれた気がして、ドキッとする。
最初のコメントを投稿しよう!